【第581回】 時間との勝負

合気道の稽古をはじめて50年以上になるが、稽古の仕方が年齢に従って変わって来ているのを感じる。
入門したての頃は、まだ学生で元気があり、他人に負けないよう、何とか相手を投げたり、抑えようと稽古をしていたと思う。他人との勝負である。

また時間もあったので、ほとんど毎日、2,3時間の稽古はしていた。
有難いことに、大先生はまだご健在だったので、大先生の技を直に拝見できたし、お話を伺うこともできた。
しかし、大先生の技を見ても、お話を聞いても、その素晴らしさや重要性は理解できなかった。だが、不思議な事にその当時見たこと、聞いたことが今蘇ってくるのである。これが高齢になっての稽古に大いに役立つことになるのである。

その後は仕事人間、仕事中心の生活になるわけだが、仕事をしながら稽古をするのは、時間の関係で中々思うようにいかない。が、何とか都合をつけて稽古に通うことができたので感謝している。
しかし、仕事を切り上げて道場に直行するので、どうしても仕事の事、世俗の事を道場まで引きずり込んでしまうので、その雑念との戦いが主要な稽古ではなかったかと思う。

そして今現在は、会社も定年退職し、若干仕事をしているが、自宅でできるので事務所に行く必要はなく時間もでき、一日を自由に、好きなように過ごすことができるようになった。
道場には週3日通うことにしている。これは数十年変わらない。
時間ができたのだから、毎日通えばいいかもしれないが、自分の生活リズムや体調を考えるとこれが一番いいように思えるのでそうしている。
稽古を毎日しなければならないことは分かっているから、毎日、家でやっている。狭い家の中でもできる稽古プログラムで小一時間ほどやっている。

毎日同じプログラムを稽古していると、必ず新発見がある。次の日はその新発見の上で稽古をするので、更なる新発見がでてくることになる。そしてその新発見を道場の相対稽古で試してみるのである。勿論、道場稽古でも新発見はある。

新発見を理合いで分析し、試し、そして身につけて行くのである。一つの新発見は他の技にも適用するわけだから、すべての技、万有万物、そして宇宙につながる大発見という事になるわけである。小さな新発見でも大いなる喜びになるわけである。

小さな発見が積み重なって大きくなったり、その小さな発見のお蔭で大きな発見に通ずることもある。
発見できるもの、すべきものは無限にあるようだ。年を取ってくるとそれが見えてくる。そして時間が限られていることも分かってくる。発見すべきものを如何に一つでも多く得ることができるのか、時間との勝負になる。

焦らずに一つ一つ発見し、身につけて行くほかないだろう。時間の問題はあちらさんが決めることである。