【第577回】 らくと緊張

人は少しでも楽したいと楽に向かっているようだ。自分の足をつかって歩くより乗り物をつかい、階段よりエスカレーターやエレベーターに乗り、手紙よりメール、簡単な計算でも頭ではなく計算機をつかう等である。
そしてこの楽志向が科学を発展させ、経済を潤してきているわけである。

しかしこの楽志向の度が過ぎるのも問題ではないだろうか。
最近気になっていることの一つに高齢者の服装、身だしなみがある。多くの高齢者が、これ以上楽な服装がないような服装で街を歩き、電車に乗っている姿である。
黒っぽいシャツやセーターや上着を着、運動靴のようなゴム底靴を履き、そしてリュックサックを背負っているパターンである。

最近、電車の中で一人の高齢な紳士を見た。革靴を履き、濃紺色のパナマ帽をかぶり、その色に合ったスーツとネクタイできめていた。それほど高価なものではなく、どちらかといえば質素でつつましい服装であるがきまっているのである。しかし、きっといつもこのような服装で街に出ているのだろうと思われた。

前者と後者を比べてみると、後者の紳士の服装のようが、高齢者の服装としては自然であり、これからの自分もそうあるべきだと思った。
それは合気道の思想にも一致する。
陰陽の考えである。人も物事も陰と陽のバランスが取れていなければならないということである。
若者は陽、老人は陰とすると、陽の若者が地味な陰の服装は、陰陽のバランスが取れて合うことになるが、陰の老人が陰の服装をすれば陰がますます陰になって不自然で、不釣り合いだからである。
このような不自然、不釣り合いを人は、無意識のうちに敏感に感じ取っている。特に若い女性は敏感に反応する。例えば、電車の座席にこのような陰陰の不自然な老人が座っていれば、その隣に座るのを避けようとするはずである。逆に、若者がギンギラギンの帽子や靴の服装なら、これも陽陽で不自然なので敬遠されるはずである。嘘だと思ったら、身なりを変えて電車に乗ったり、街を歩いてみるといい。周りの反応が全然違うはずである。

高齢者が、長年緊張して仕事をしてきたので、少しでも緊張をなくし楽になろうという気持ちは理解できるが、社会は高齢者にも多少の陽の緊張を求めているということだと考える。社会のためにまだもう少し一緒に頑張って欲しいということだろう。そのためには多少の陽の緊張も必要だろう。取りあえず、服装、身なりから始めてみるのがいいだろう。