【第575回】 老後の生き方の一考

会社に通う必要がなくなると、これまで考えたこともないようなことをいろいろと考えるようになる。何せ時間と気持ちに余裕ができるからであろう。

先ず考えるのは、自分自身のことである。自分は何者で、何処から来て、何処に行くのかという、これまで真剣に考えることができなかったことを、残り少ない時間の内に、何とかそれなりの答えを出そうとするようになる。
そのヒントを与えてくれそう人の話を聞いたり、本を読んだり、映画やテレビを見る。世の中には偉い人がいることがわかり、自分も頑張ろうと思うようになる。しょぼくれてなんていられないようになる。

自分の事の一つは自分の体である。自分の体について何もわかっていない事がわかって愕然とする。合気道の稽古を長年してきたのにである。時間と心に余裕がなかったわけである。
仕事を辞めて余裕ができて、自分の体の不思議さに驚く。体は本当によくできている。正に神業である。そしてこの体もお迎えが来た時はお返ししなければならないことに気づき、これは自分の体ではなくお借りしているモノだとわかり、大事につかわせて頂くようになる。

自分の事のもう一つは、心である。これまでほとんど気にしていなかったが、この心は体と同様に大事であることがわかってくる。これも合気道のお蔭だろう。合気道をやって来たお陰と年を取り余裕が出來たわけである。

これまでは見えるモノに価値を置いて生きてきたが、これからは見えないモノに価値を置きたいと思うようになる。これまで培ったモノを土台にし、その上に心を置くようにするのである。
若い頃と高齢の今はすでに変わってきている。若い頃は高い高価なモノや若い美人に憧れたていたが、今は(残念ながら)ほとんど興味がない。逆に、若いモデルのような美人やアイドルをみると、若さが衰えるその数年後が心配でかわいそうになる。

今、感動し、笑みが浮かんだり、涙が出てしまうのは、朝の日の出、夕日、富士山や山並み、自然にある花や木々、幼い子供たちの姿や動作等々である。これらは外見で感動するよりも、その内にある心に感動しているはずである。幼い子供の姿形に感動しているのではなく、時間を少しでも楽しく過ごそうとしているエネルギーや自然な心・気持ちに感動するからである。草木もその気持ちになるから、共感でき、かれらの喜怒哀楽の心がわかるからである。

世の中のモノ、宇宙の万有万物はすべて陰と陽、裏と表、前と後ろ、左と右などなどバランスを取るようにできている。
人の若い頃は物質科学、知識優先社会、競争社会、人工指向に生きて行くが、仕事の世界を離れて余裕ができてくると、バランスを取るべく他方、対極の生き方をしたいと思うようになるのではないかと考える。精神科学、知恵優先社会、融合社会、自然指向に生きていくことである。
従って、老後も物質文明、競争社会の延長で、金や財や名誉をもとめていく生き方をすれば、バランスが取れず、自分の生き方に満足してお迎えを迎えることができないだろうと思う。

このバランスが取れてくると、合気道の修業目標である宇宙との一体化がはじまる。宇宙との関係がはじまり、自分を宇宙の目で見るようになる。広大なマクロの宇宙とミクロの宇宙が結びついてくる。また、宇宙とはこの空間的な捉え方と別に、時間的な宇宙もあるから、過去・現在・未来の自分を捉えることになる。人には過去・現在・未来すべてが包含されていることがわかってくる。
尚、合気道的な空間的な宇宙には、顕界、幽界、神界があるから、この中に自分を見つめることにもなる。

まあ、こんなところが今の老後の生き方と考えている。