【第574回】 高齢者の生きる楽しみ方

自分が年を取ってくると、高齢者がよく見えるようになってくるし、高齢者からもいろいろ教わる。関心する教えを貰うのは、だいたい先輩の90才、100才以上の超高齢者であり、同輩やちょっと若い60,70才の人たちからは、反面教師として教えて貰うことが多い。

赤信号になっても横断歩道を渡ろうとしたり、信号が青になるのを待ち切れずに渡るのも高齢者が多い。街を歩くにも、前の人を追い越したり、エスカレーターにじっと立っておらず、急いで登っていく。若者なら納得できるが、それほど急ぎの用もないはずだし、時間も十分にあり、時間を持て余しているはずの高齢者が急ぐのは滑稽であるし、悲しいことでもある。

このような慌ただしく生きている高齢者は、それまでのビジネスでの競争社会の負の遺産を引きづっているためだと考える。他人には負けたくない、他人に抜かれたくない、他人より先に行くなどを引きづっているのである。
合気道の稽古を見ていても、高齢者ほど若者に負けないようにやろうとするようだ。自分の力や体力の衰えに気づかず、またはそれに目をつぶって無理しているのである。そしてそれが無理な事がわかると、引退ということになるのであるが、大体はその前に体を痛めてしまうものである。

高齢者、後期高齢者になれば、若い頃とは違った生き方をしなければならないだろう。違った生き方とは、それまでとは違い楽しみ方をして生きて行くという事だと考える。勿論、時間的、経済的そして心体的に大きな問題がないという条件である。

それでは高齢者はどのような楽しみ方をし、生きていけばいいのかを考えてみたいと思う。
まず、高齢者になれば、お迎えが近い内にくるわけだから、時間を大事にしなければならない。しかし、時間を大切にしようとしたとしても、わき目もせずに急いで人をかき分けて歩いたり、エスカレーターを駆け上がるのは、時間を大切にしているとは言えない。何故なら、道を急ぐということは、目的地に早く着こうということに気持ちでいっぱいになり、他の事を考えたり、周りを見て楽しむことなどできないわけので、その時間を楽しんでいないわけだから時間を十分活用していなことになるのである。

高齢者になれば、残り少ない時間を少しでも楽しんだ方がいい。一瞬一瞬を楽しむことである。街を歩くにしてもゆっくりと余裕を持って歩き、周囲を見、美しいモノ、素晴らしいモノを発見し、カントではないが、自分の思考を確認したり深めながら歩けば楽しいし、その時間を有効に使っているという満足感が得られることになる。

これは時間を楽しむということになるが、同じように、食事を楽しむ、その食事のための食器を楽しむのである。自分を楽しませるのである。自分を楽しませるのには、音楽を聞いたり、散策をしたり、書物を読むこともある。

若い内は社会とのしがらみがあって中々難しいわけだが、高齢者になれば一瞬一瞬を楽しんで生きていけるはずである。
これが高齢者の生き方であると考えるわけだが、それではそのようになるためには、高齢者はどうすればいいのかということになる。

合気道の開祖はこれを、「いつもゆったりと落ち着いた気持ちで、営みの世に只一人という気持ちで、喜びの世に浸っているようでなければだめです」(「武産合気 」P.91)と言われている。気持ちの持ち方が大事なようである。