【第568回】 人生も稽古も積み重ね

かって大先生や有川先生などの傍にいると、何か重圧のようなもので圧倒されてしまったものだ。また何か見透かされているようで、口を利くこともままならず、金縛りにあったように身動きもせず、沈黙してしまった。
人には何かそのように人に与えるモノ、発散するモノがあるようである。勿論、それが大きい人、小さい人、まるで無いような人もいる。

人が発散しているモノは、威圧感だけでなく温かさ、やさしさ、かわいらしさなどもあろう。威圧感には、強さ、怖さ、奥深さ、己の知らない事を知っていること、出来ない事ができる事への尊敬と怖れなどを含んでいるのだろう。また、温かさ、やさしさ、かわいらしさなどに愛を感じるのだろう。
そしてこの発散する、威圧感や愛を総合したものが人間性といいことだろう。

さて、人によって人間性は違っているわけだが、合気道での理想の人間性は威圧感と愛が表裏一体の人間性という事になると思う。強ければ強いほどいいが、それに対応する愛も持っていることである。大先生も有川先生もそれを兼ね備えておられたから、誰もが怖かりながらもみんな寄っていったはずである。

それではどうしてそのような人間性ができたのか、どうすればそれに近づくことができるようになるのかを考えなければならないだろう。それを合気道家として考えてみたいと思う。

まず、愛であるが、愛は合気道の稽古を積み重ねていくと出てくると考える。愛とは簡単に言えば、相手の立場に立って考え、技をつかうことであるから、この愛の稽古を続ければ、愛の人間性が出来てくることになる。
愛の稽古をするようになると、神様や仏さまの気持ちもわかるようになるだろうし、植物や太陽や月や山ともコミュニケーションが取れるようになるだろう。なにしろ万有万物は宇宙が出来た時の同じ元素でできている、兄弟だからである。これは合気道の教えでもある。

問題は、その反対側の威圧感(威厳)である。そう容易に身に着くものではない。これを大先生や有川先生のように身に着けるためには、やるべき事を一つ一つ丁寧に積み重ねることだと考える。合気道でやるべき事は、大先生が示されているし、それをやっている内に、自分の体と心が教えてくれるものである。
しかし、一つでも手を抜いたり、間違えたものを積み重ねていけば、隙間が出来たり、崩れたりして次に必要なものが積めなくなる。焦らずこつこつと積み重ねていかなければならない。
いい指導者がいれば、間違って積み重ねれば修正してくれるが、いなければ自分でやるほかない。間違いに気づき、気づいたらすぐに積み替えるのが大事である。

道場でも稽古で、技に必要なコトの積み重ねをしていくと、日常生活でもその方向での積み重ねをするようになるはずである。一日一日が厳しい積み重ねとなり、厳しい人間性ができていくわけである。

技も人間もその積み重ねで厚みが出、味がでてくる。説得力のある技となり、威圧・威厳のある、味の或る人間、人間性に富んだ人間になっていくことになるわけである。

積み重ねる稽古や生き方をしていくと、後進が積み重ねの稽古をしているのか、どのように、どの程度まで積み重ねているかが一目瞭然である。
このように後進が見えるようになると、大先生と有川先生の傍にあった己の気持ちが、何故あのような威圧感を負ったのかがわかるようになるのである。