【第565回】 老いは時間との戦い

65才、70才を過ぎると、ますます時間の経過が早くなり、一日も一年もどんどん早くなる。どんなに頑張っても時間の流れを、若かった頃の流れには変えられない。変えられないから、それを素直に受け入れた方がいい。
そう思うと、年を取るに従って、時の流れが早くなるのは、自然であり、年寄に相応しいことがわかってくる。

極端に云えば子供の頃、例えば小学校時代の一日は長かった。午前中の授業、午後の授業時間の長かったこと。夏休みや冬休みは長すぎて、早く学校が始まればいいのにと、休みの終わりごろはいつもそう思っていた。

70,80、100才になって、時間が子供の頃のようにゆっくりと流れるとしたら、多くの高齢者は時間の流れについていけず、上手く生きていけないと思う。
一日24時間が長く感じ、何もしない時間が増えることになるだろう。

高齢になるに従って時間が早まるのは有難いことであると考えた方がいい。どんどん早く過ぎて行く一日、一年を如何に充実して過ごせるに挑戦できるからである。長すぎると感じる一日や一年では、時間を持て余した子供のころと同様、その挑戦は難しいだろう。

年を取ってくると、一日一日が挑戦である。その一日で何をやったのか、何ができたのか、何に挑戦したのか、何を発見したのか等に対する挑戦である。
それらの挑戦と結果がその日、その年の満足度になる。
誰も褒めてもくれないしご褒美もくれない。自分自身で満足したり、褒めたり、ときに叱咤激励するだけである。だがこれがいい。他人に褒められたり、御世辞を言われるよりはるかにいい。

年を取るに従って時間はどんどん早く流れる。自分でやりたい事、やるべき事を持っている人、つまり合気道的に云えば、天からの使命を持った人は、その使命を果たすために時間が足りなくなってくる。使命の量はどんどん増え、しかし時間が少なくなるからである。それ故、使命を果たそうとする高齢者は、寿命を延ばすか、睡眠時間を少なくするほかなくなってくるわけである。
合気道の開祖は、睡眠は2,3時間でいいと言われていたし、葛飾北斎は90歳で臨終を迎えるが、その際、「『天があと5年の間、命保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう』と言いどもって死んだ」と言われている。まさしく、壮絶な時間との戦いと云える。
私なぞまだ5,6時間は寝ている。睡眠時間が2,3時間になるように、やるべき事、やりたい事にもっともっと集中しなければということだろう。