【第563回】 戦争を終わらせるために

人の人生というものは、一見複雑なようだが、いたって単純であるともいえよう。
人間がつくった時間で見ても、一秒一秒は単純で規則的に流れているわけで、人間がどのように生きていようが関係なく流れている。
時間という概念がなかったネアンデルタール人とかクロマニオン人時代には、毎日の生活や人生はもっと単純だったはずである。日が出て沈み、春がきて夏が来て秋が来て冬になる、そして春がくるに合わせて生活し、飢えないよう、寒さに耐えられるように生きていたはずである。通勤地獄も家や車のローンの返済を心配することもなかった。

人間は自分たちの生活や人生を自ら複雑にしているようである。
ネアンデルタール時代から、人の生活はどんどん複雑になってきているし、複雑になってきている。しかし、それは自然や宇宙の関知するところではない。

人が社会に生きているかぎり、どんどん複雑に生きなければならなくなるのは仕方がないことであるだろう。何故ならば、社会が複雑になってきているからである。とりわけ、国や業界などの社会は競争社会にあって、その競合社会の中ではその強豪たちと対抗しなければならず、個人もそれに巻き込まれているからである。

この厳しい競争社会の基は、合気道では物質科学にあると教えられている。物や金などのモノ、見えるモノを求め続ける社会である。合気道ではモノも大事であるが、この物質科学だけでは、人も社会も人類も幸せにはならないと教えている。

物資科学と精神科学の調和が必要なのである
今やモノは十分に満たされてきたわけだから、物質科学を裏にして精神科学を表に出していかなければならないのである。これまでのように、見えるモノに価値基準に置くのではなく、今度は見えない精神、つまり、心を基準にモノを見、心で価値判断し生きて行くということである。

物質科学を追及していくと、段々とカスがたまり、物質文明が行きづまって来て、争いが起こってくる。物質文明はモノ中心で、競争の社会になるから、国でも社会でも、そして個人的にも大小の争いになる。大きな争いは戦争という争いである。

これらの大小の争いを無くすのは難しい。 例えば、今の最大の争いであるシリアの戦争を終わらせるため、これまで国連や、多くの国や政治家が試みたわけだが成功していない。
それではどうすれば、この戦争や他の争いを終わらせることができるのだろう。

唯一の解決法は、合気道の教えにあると考える、つまり、物質科学と精神科学、物質文明と精神文明、モノと心のバランスを取ることである。これまで培ってきた、物質科学、物質文明、モノのレベルまで精神科学、精神文明、そして心をレベルアップし、それを表裏一体にし、そして精神科学、精神文明、そして心で物質科学、物質文明、モノを制御していくのである。
バランスとは、例えば、どんなに心が綺麗で立派でも、それに相当するモノ(力)が伴っていなければ、説得力に掛けるし、また、どんなに力(金、軍事力)があっても、心が伴っていなければ、説得力はないので、両方が備わっていなければならないということである。

この心ということを、合気道では愛の心という。愛の心でなければ、相手は納得しないのである。外交力とか口が上手いとか、頭が切れるとかは、合気道でいうところの「魄」の力、モノであるから、問題解決は難しい。

愛とは、相手の立場でモノを見、相手の立場にたってやることである。自分の立場だけの為にやっていれば、相手は愛を感ぜず、納得しないどころか、反抗し、更なる争いになることになる。
このことは、合気道の稽古でみんなが体験し、追及しているテーマなのである。
開祖がご健在な頃、多くの政治家も稽古に来られていたが、彼らは体を動かすだけではなく、このような愛の心の大切さを開祖から学ぼうとされていたのではなかったかと思う。

新聞やテレビで、ほとんど毎日のように戦争の悲惨なニュースが報道されているわけだが、どうして戦争をやめることができないのか、どうすれば戦争をやめ、お互いに仲良くするためにはどうすればいいのかを考えている。
そして、出てきた結論は、合気道である。合気道の理念、魂(心、精神)を表にし、魄(モノ、物質)を裏に置き、魂で魄を導いていかなければならないということである。
戦争を終わらせるのは、兵力や武器などのモノではなく、自分のためだけではなく、相手を思いやる愛の心だと考える。
合気道が世界の争いも大小の争いを救えるはずである。そのためにも合気道家は稽古をし、それを学び、社会のため、世界のためにも頑張って欲しい。