【第545回】 ダーウィンの進化論と合気道

合気道の修業に、これでいいという終わりはない。高々、どんなに頑張っても100年足らずの修業しかできない。合気道の修業の目標に辿り着けたかどうかは、修業の終わりにわかるだろうが、今は修業を続けて行くほかない。

少しでも長く修業を続けることが大事になる。目標に辿り着けなかったとしても、どれだけその目標に近づくことが出来たのかが大事なことであり、楽しみでもある。そのためには、以前から書いているように合気の道にのって修業していかなければならない。

半世紀以上にわたって稽古をしているので、これまでいろいろな事を見、体験してきたが、一つ残念なことは、合気道の修業を人生最後まで続ける稽古人が少ないことと、寿命そのものを世間並みに長くできないことである。本来ならば、私なんかよりもっと年を取った先輩方が道場に顔を出し、稽古をして、我々若輩を指導して下さってもいいと思うのだが、多くの先輩や同輩は亡くなったか、早期引退されているのである。

そこで、先輩や同輩の早逝と早期引退の理由を考えてみる。これまでいくつかの論文に書いたが、今回は、「ダーウィンの進化論」に照らし合わせて、この問題を考えてみたいと思う。
「ダーウィンの進化論」で、興味を引き、面白いと思ったのは、これまで地球上に生き残れた生物とは、強いものでもなく、かしこいものでもなく、変化に最も対応できる生き物が生き残ることができる、ということである。
ということは、生物も人類も強くなくとも、賢くなくとも、いろいろな変化に対応することができたものが生き残ってきたわけである。逆に、例えば、恐竜などは力があっても、地球や宇宙の変化に対応できなかったために生き残れなかったことになる。

これを合気道に照らし合わせたのである。確かに、合気道でも、力や体力があり強かった人や頭のいい人は、一般的な人の寿命まで続けることが出来ないようだし、また、早期引退をしているようで残念である。

ダーウィンの進化論からすれば、合気道を一般の寿命までやり続け、早期引退しないためには、変化に対応するようにしなければならないことになるだろう。
合気道で変化に対応するとは、まず、世の中の流れ、例えば、武術から「道」の流れに変わったことに対応しなければならないことである。柔術の時代は、相手に負けない、敵を倒すのが稽古の目的であったわけだが、今度は、自分のための稽古であり、ひいては世の中を禊、地上楽園建設のお手伝い、更に、宇宙との一体化を目的とするものに変わってきているのである。
従って、この合気道の流れに対応しないで、かっての柔術的な稽古と考えから抜け出せなければ、合気道では生き残れず、早期引退となるわけである。
開祖は、法則に則った技をつかわなければ体を壊すとも云われているのである。相手をどうのこうのとやっているようでは、法則など無視することになり、体を壊し、合気道の道を離脱しなければならなくなる。これも柔術時代からの新しい変化なのである。

以前にも書いたが、開祖の高弟で、養神館の館長だった塩田剛三館長は、「合気道は私で終わりだ」と言われているが、戦いのための合気道は終わりであり、新しい合気道に変わらなければならないと、合気道の変化をよくご存じだったということになる。流石に、開祖と長年修業を共にされ、最後まで戦って下さった方だったので、開祖のお考えがよくお分かりになっていたのだろう。
この館長の言葉を噛みしめ、そしてダーウィンの進化論の「変化に対応する」という言葉を肝に銘じ、合気道に生き続けていかなければならないだろう。