【第542回】 人を表わし、人をつくる技

合気道は技を練って精進する。練った技は、その人を表わす。その人のそれまで歩んで来た人生、歴史、学んだこと、体験したことなどである。
勿論、他人には詳細は分からないが、本人自身にはそれが良くわかるはずである。

年を取ってくるに従い、技には今の自分だけではなく、過去の自分、そして未来の自分が含まれていると思うようになる。技は自分のすべてを表わしているように思う。これまでの自分の歴史、人生であり、また、その歴史と人生に携わってくださった方々、万有万物との出会いなのである。これまで多くの方々や万有万物にご支援を頂き、お教えを頂いているのである。

これまで合気道に出会い、大先生とも稽古をすることができ、そして多くの師範や先輩、仲間と出会い、教えを受けたり稽古をすることができた。この事はすべて、私の現在の技に入っているはずである。
また、道の先にあり、合気道修業の目標になっている、宇宙との一体化という未来も技に入ってきているはずである。つまり、技には過去・現在・未来が入っているのである。

また、これまで多くの出会いと別れをくりかえしてきたわけだが、その方々の教えや思想なども、つかう技には入っている。
聞いたこと、教えて貰ったこと、そして自分がやってきたことなど、自分が見たこと、聞いたこと、考えたこと、体験したこと等々すべて技に表れることになる。
もしも、お会いした方々の一人にでもお会いしていなかったとしたら、自分の人生は変わったろうし、技も変わっていたはずである。
この意味でも、若い内に、多くの方々に会い、多くの経験を積んだ方がいいだろう。いろいろな人を知らず、経験が少なければ、技もそれなりのものにしかならないだろう。

合気道は相対で技を掛け合って精進する稽古をしているわけだが、勝負や勝ち負けを争っているのではない。強い弱いの稽古ではないとすれば、それでは何を基準として稽古をすればいいかということになる。とりわけ後期高齢者の稽古の基準、目標は何かということである。

技は人を表わすわけだから、己に表れる技が見られてもいい人、そしてそのような技をつかうようにしなければならないだろう。それは真善美で成り立つ技ということになるだろう。
合気道は、「真善美の探究」であると言われる。少しでも、清く正しく美しい人になって、それを技で表わすのである。これは禊ぎでもある。合気道は禊であるというのは、この事も意味しているはずである。

また、この真善美は合気道の技を練ることによって、身に着き、それが昇華されるはずである。技は、宇宙の営みを形にしたものなので、宇宙を取り入れていけば、宇宙との一体化に近づいていき、真善美も昇華されることになるからである。