【第54回】 満足しすぎると駄目

人は高齢になってくると経済的にも、時間的にも、そして精神的にもゆとりが出来てくる。健康であれば、生きていく上での大きな問題はほとんど無くなるだろう。定年になり、年金暮らしに入れば、そのように余裕がでるので、勤め人はそれを楽しみに一生懸命に働くわけだ。

しかし、定年になって時間的束縛や精神的束縛から解放され、楽しい生活ができるはずなのに、精彩がなくなる人が多いようだ。かって仕事をしていたときの方が生き生きとしていて、エネルギッシュだったのは、若さということだけではないだろう。

人が何かに打ち込んでいる姿は美しく、他人を魅了する。特に、人が人の限界に挑んでいる姿は美しい。逆に、楽した姿は美しくないように思われる。合気道でも自分の課題をもってそれに挑戦している人には魅了される。翁先生(開祖)は亡くなられるまで、あのような境地に居られたにもかかわらず、「まだまだ修行じゃ」といわれて修行を続けられていた。どんなに上達してもこれでいいということはなく、その上の目標が現れるもののようである。

人は満足しきっては駄目である。満足している姿は美しくないだけでなく、わがままになったり、頑固になったり、またボケてしまったりする。本当の満足は現状に満足することなく、問題や課題を解決したとき、自分が変わり、成長することであろう。いままで分からなかったことが分かるようになったり、出来るようになることが、真の喜びであり満足であろう。この真の喜びや満足のために、毎日を生きることだ。合気道の稽古でも現状に満足しないで、課題をつくり、それに挑戦し続けなければならない。