【第530回】 「私の楽しいこと」

最近、佐藤愛子さんの『老いの力』(文芸春秋)を読んだ。彼女は小説家、エッセイストで、生まれは大正12年。誰もがしっているサトウハチローは異母兄である。細かいことはともかく、佐藤愛子さんは後期高齢で活躍されているわけである。

私が興味のある人物は、年を取っていて、活躍している人である。年を取っていても活躍していない人には、あまり興味ないし、また、活躍していても若ければあまり興味がわかない。

しかし、こちらに興味があっても相手の方は、こちらには興味がないわけだから、こちらが興味を持った人物の書いたもの、作成したモノなどを見せてもらうことによって相手を知っていくことになる。
今回は、佐藤愛子さんのエッセイ『老いの力』を読んで、彼女に興味を持った次第である。

『老いの力』は自分の老いや死について、50代、60代、70代、80代と分けて書いたものである。
因みに、彼女の50代のテーマは、「本当の年寄り」になる前に覚悟を決める、60代は、「孤独に耐えて立つ老人になりたい」、70代は、「それでも仕事をするのは一番楽しい」、80代は、「自然に逆らわず時の流れに沿って」である。

この中の70代のところで、興味のある次のような文章を見つけた。
「佐藤さんの楽しいこととはどんなことですか、とよく訊かれる。(中略)一仕事終わったからといって、さあ、何かして楽しもうと思ったことは私にはない。むしろ充分に眠れて気持ちよく目覚め、さて今日の仕事は?と考えて、その日書くべき原稿の書き出しやモチーフやらに考えが到達し、『よし、これで行こう』そう思って起きる時―――その時の方がよほど私には楽しいのである」

このエッセイの文章に興味を持ったのは、私自身も同じような心境であるからなのだろう。女房がいた時は、女房が楽しんでくれることが、自分の楽しみであり、少しでも女房を楽しませて、自分も楽しもうとやってきた。その楽します対象がいなくなると、以前のように、どこかに行こうとか、美味しいものを食べようかとか、お能や歌舞伎やオペラ、コンサートに行こうという気持ちがなくなってしまった。

でも、私の楽しいことはある。それは、佐藤愛子さんのように、書くことである。合気道の論文を書くことである。論文を書くということは、まず、論文のテーマを決めること、そしてそのテーマを文章にすることであるが、その挑戦と達成感こそが楽しいことと言えるだろう。

しかし、それより楽しい事がある。それは論文の基になる合気道の稽古である。技の新しい発見、つまり、新たな法則を見つけること。その新たな法則の技で他の形やいろいろな相手に試し、改善したり修正しながら完成度を上げていくことである。

そしてそれを論文にし、活字に残していくことである。合気道後進たちに少しでも役立ってくれるかもしれないと思えば、こんなに楽しいことはない。