【第521回】 時代を越えて

日刊工業新聞(2016.3.14)に、富士ゼロックス社長の栗原博さんが「松下幸之助さんもそうだが、名経営者と呼ばれる人々の言葉は時代を越えても全く古くさいと思わない」と書いていた。

確かに名経営者の言葉は、多くの経営者やビジネスマンたちに時代を越えて感銘を与えている。コンピュータがまだ出現していなかった時代にいわれたり、書かれた言葉が、IT時代の人たちに感動や新鮮ささえ与えているのである。名経営者と呼ばれる人々の言葉は時代を越えている、ということになる。

言葉だけでなく、科学、絵画、音楽なども時代を越えているということになるだろう。ニュートンの法則や相対性理論等のレベルの高い科学だけでなく、1+1=2なども時代を越えて永遠に続き、はじめて教わる人も決して古くさいとは思わないはずである。また、絵画でも音楽でもよいものは、古さに関係なく、何時見ても、どの時代に聞いても感動する。時代を超越しているのである。

開祖の言葉も、時代を超えている。どの国、どの地域、そして、どの時代の人が読んでもざん新であり、感銘を受けるはずである。これは永遠に読み続けられるはずのものであろう。

しかも、開祖は、人は現在に過去も未来も宿しているから、永遠の現在で行動し、生きていかなければならないと、次のようにいわれているのである。
「過去―現在―未来は宇宙生命の変化の道筋で、すべて自己の体内にある」
「現在を永遠の内に宿し、永遠を現在の内に宿して一行一動、神誓神力を発揮して不窮の行為が、永遠不窮に受け保ちいくのである。過去、現在、未来を通じて、永遠にひびく終焉の一語の中に、不窮の大意義がある」

開祖は、人は時代を越えて生きて仕事をする才能と能力があるから、各人は積極的に時代を超える仕事をしなければならない、といわれているのである。

合気道的に考えて時代を超えたものになるかどうかは、それが宇宙の意志に合っているかどうか、ということであろう。宇宙楽園建設の道にあれば時代を越えて残るし、それに反したり、その道を外れていれば、一過性のもので消滅してしまい、時代を越えられないものになってしまうと考える。

開祖の時代を超えた教えに従い、時代を超える技を会得し、未来にも生き、時代を越えて生きていきたいものである。