【第518回】 みんな同じ道を辿っている

これまでに、合気道は50年、人生は75年を迎えようとしているが、まだまだ一人前ではないし、学ぶこと、身につけることは沢山残っている。100才以上生きておられる方々と比べれば、はなったれ小僧である。

それでも、これまで分からなかったことが少しずつわかるようになり、見えなかったことがだんだん見えてくるようになってきた。特に合気道の世界では、以前に比べていろいろなことがわかってきたようである。人はある程度年を取らないと、真に大事なことは分からないということだろう。

大半の合気道の稽古人は、私よりも若く、稽古年数も少ない後輩、後進になってきた。もちろん先輩や先人方もまだまだ活躍されている。自分にとっての先輩、後輩の区別とは、自分より先の道を進んでおられる方、おられた方を先輩とし、自分より後の道を進んでいるのを後輩とする。道とは、いうまでもなく合気の道である。

先輩方からはいろいろと教えて頂いた。先輩が経験されたことや、その先輩からの教え、鍛錬法、先輩の受けを取ったこと等々である。今ではほとんどの先輩が亡くなって、いつの間にか自分が先輩になってきているわけである。

先輩たちと自分、そして後輩たちを比べてみると、一つの共通点がある。それは、「みんな同じ道を辿っている」ということである。もちろん、強い人、技のうまい人等々、個々の違いはある。人には才能、努力、運の違いがあるから仕方がないことであり、だから面白い。

道場で後輩たちの稽古を見ていると、自分がやっていたのと同じような事をやっているものだ。入門当時は、誰もが真面目に一生懸命に稽古をする。そこからはじまって、仲間と気持ちよく投げたり受けを取り合って楽しむが、その内にお互いががんばり合うようになり、技が今までのように効かなくなってくる。そして、今度はお互いがライバルになって、切磋琢磨していくのである。

また、形をある程度覚えてくると、今度は剣や杖に興味を持ち、ちょっと振ったりする。だが、それより深く入って得物の稽古をしようとも思わず、止めてしまう。その後は、せいぜい昇段試験のために剣や杖を触るくらいになる。

40,50歳ぐらいになると、肩が痛くなる。いわゆる40肩である。人によって違いはあるが、肩を痛めることが多い。今はその原因がわかるが、当時はなぜ肩が痛くなるかなど分からなかったし、直し方も知らなかった。稽古は肩が痛くなるくらいにやらなければ上達はないのだから、悪いわけはない等と考えていた。

ちなみに、その原因は形(四方投げ、小手返し)で相手を倒すことであり、そして肩で投げることである。その解決法というのは、肩を貫いて技をつかうことである。

私の場合は、40肩の原因と解決法を早い時期に見つけたおかげで悩まずにすんだ。また、膝と腰を痛める稽古人も多い。上記の40肩の原因と対策は同じようなもので、40肩でそれに気がついて対策を講じなければ、膝と腰も痛めることになる。

合気道というのは、合気の道を進んでいくことである。合気道の目標、これを開祖は「宇宙との一体化」である、といわれている。だから、その目標に近い人が上手い人であり、遠い人が下手な人ということになる。

目標に近くてうまい人は、後ろにいる人が自分が辿ってきた道のどの辺にいるか、わかるものである。後輩の体づかい、技づかいを見れば、それがわかるのである。肩が痛いとか膝や腰が痛いということも、みればわかる。

先輩になるということは、先輩としての責任があるように感じる。自分が先輩から教わり、お聞きしたことを、自分の後進に伝えていかなければならない、ということである。たとえ一人にでも伝えておけば、次の後進にさらに伝わっていく可能性があるだろう。自分がたどる道を後輩達もたどれるように、道をつくっておかなければならないだろう。