【第513回】 人身事故、それは物質文明の競争社会がもたらしたカス

今の社会は争いが絶えない。たとえば戦争、政治的・経済的な争い、また個人的な争いなどである。合気道的に解釈すると、物質文明の競争社会がもたらしたカスである。ここまでモノが豊かになった代償ということで、当然の成り行きなのである。確かに氷河期や飢饉が頻繁に起きていた時期にくらべれば、モノは豊かになったし、死の心配も少なくなった。そのために人類は少しでも豊かになろう、競争に勝とう、負けまいとやってきたわけである。

しかし、先進国といわれているアメリカ、EU諸国、日本などの経済成長は、これまでの成長と比べれば微々たるものか、マイナス成長となっている。以前、例えばバブル期のように、働けば働くほど稼ぐことができた時代とは違い、いくらがんばってもそれだけの成果をあげることが難しくなっている。そして、社会では勝ち組みと敗け組みの二極化が進んでいるように見える。

最近、特に気になるのは、ほぼ毎日ニュースとなっている鉄道人身事故である。この人身事故には事故もあるが、死亡の大半は自殺である。自分で自分の命を絶つのである。年間600件以上起こっているわけだから、ほぼ毎日2件どこかで起きているわけで、個人的な問題というよりは社会の問題であると考える。

人身事故は即、自殺だと思うが、ニュースでは自殺と表現していないようなので、ここでも自殺をやわらげて人身事故ということにする。

この人身事故の問題は、自暴自棄の犯罪と大きく関係するように思える。この人身事故と自暴自棄の原因は、物質文明の競争社会にあると思うのである。つまり、自分は無能で役立たずと思い込んでしまったり、負けた等と思うのである。従って、人身事故と自暴自棄を無くさないまでも減らすには、この思い込みをなくすことだと考えるのである。

合気道では、人それぞれに使命があり、その使命を果たしていかなければならないと教えられている。何が使命なのか説明はないが、使命とは日本人として、社会人として、仕事人として、人間としての使命ということだと思う。

人身事故と自暴自棄に深い関係があるのは、仕事人としての「使命」(開祖の言葉、表現)であろう。希望する会社で働けないとか、よい役職につけないとか、満足に働けないとか、無視されたり、いじめを受ける、酷使される、等の不満である。そして、この不満は、仕事において競争に敗れた負け組である、と思い込んでしまうことからくるものではないかと思う。

もちろん人身事故や自暴自棄になるような不満を持つ人を説得させることなど、不可能に近いことはわかっている。だが、少しでも踏みとどまり、再考してくれるとか、少しでもお役に立てばよいのである。つまりは、人身事故など馬鹿々々しいと思ってくれればよい、と願うものである。

第一に、己の使命は何なのか、ということは、年を取ってからわかるようである。若い内は己の使命などわからないだろうから、やりたいことをできる範囲で、一所懸命にやるしかないだろう。年を取って、これが自分の使命ではないかと思うようになった時には、それまでやってきたことが己の使命につながっていくようである。

若い内の悩みや、悩みで死ぬほど苦しむことなどもあるかもしれないが、己には使命があると信じ、またこの試練はその使命のためにあると思って、そこを乗り切って欲しいと願う。それを乗り切れば、きっとよい方に変わってくると信じる。

次に、人生は実力と努力と運である、といえよう。この三要素で己の現状を見てみれば、納得がいくはずである。自分は実力があり努力もしたのに、よい仕事につけないと思ったとしても、他人の評価は違うかもしれないし、運がなかったのかもしれない。実力・能力は最早どうしようもないから、努力あるのみである。努力によって運が向いてくるかもしれない。自分の人生、現状がどうあれ、それは自分だけの責任ではないのだから、嘆くことも悲観することもないだろう。

ホテルやレストランなどの洗面所やトイレの清掃、ごみ収集、喫茶店の給仕などなどの仕事を一生懸命にやっている姿はすばらしい。私が社長なら、自分の会社にスカウトして働いてもらいたいと思うひとは沢山いる。どんな仕事でも一生懸命に、少しでも良くしようとする人は、どんな仕事でも成果をあげられると思うからである。逆に、こんな仕事は本来自分のするものではないなどと思って適当にやるようでは、何をやってもその程度であるだろう。どんな仕事でも一生懸命やればよい。運も開ける可能性があると信じる。

さらに、年を取ってくるとわかってくるが、本当に偉い人などそうはいないものである。定年になって仕事を離れたら、ただの人である。たとえ社長だった、部長だったといっても、止めればただのご老人である。仕事人としての人間は会社や役職で飾られていたわけであるから、社長になれないから、役職がつかないからといって、悲観することはないだろう。それに、役が上になればなるほど、仕事はきつくなるのだから。

会社は社長だけでは機能しない。いろいろな分野の社員に働いてもらわなければならない。社長も大事だが、一人一人の社員の働きも大事である。ひとりでも自分の役割(使命)を果たさなければ、会社はうまく機能しないし、成果をあげることはできないだろう。誰が大事とか、偉いとかではなく、各自が己の役割(使命)を果たすことが大事なのである。社長や役職に比べて、自分の仕事が小さいとかつまらないなどと思うのは間違いである。どんな仕事でも大事な役割を担っていると思って、一生懸命にやればよい。

これは、合気道の教えによる考えである。実は、合気道では、この人身事故と自暴自棄の問題を根本的に解決するためには、今の物質文明社会を精神文明社会に変えなければならないという。要はモノ重視・優先の社会を、心重視・優先の社会にしなければならないのである。合気道はこのために稽古し、己の身につけていき、そして、社会を啓蒙するのであるが、現実はなかなか難しい。それ故、とりあえずは一般的な見方・考え方と、合気道の考え方で、人身事故と自暴自棄を解決しようとした次第である。