【第503回】  高齢者がやること、できること 序

今の若者は元気がない、覇気がない、等といわれているし、私もそう思う。幕末の志士たちが活動した時代とまで比較しなくても、第二次大戦前後に生まれた我々と比較してもそのように見える。

元気とは精神的な元気と肉体的な元気であり、若者とはその両方を有しており、肉体的、精神的な好奇心、向上心を持っているものだと思う。

今の若者に元気や覇気がないのは、別に若者たちだけに責任があるわけではないと考える。それなりの理由があることだろうが、その原因として、歴史的背景、文明の影響、それに、高齢者がある、と見る。もちろん、これは合気道の教えに照らし合わせた考えである。他の分野の政界、ビジネス界、学界、マスコミ界等々もそれぞれ考えているだろうし、また真剣に考えなければならないだろう。

歴史的背景というのは、例えば今の経済システム、社会システムでは、若者が戦後の貧しい時期のように働けば働くほど、がんばればがんばるほど、見返りがあり、より豊かな生活ができるようになるのが難しい、ということである。以前はがんばれば出世もできただろうし、給料もどんどん上がったのが、今はどんなにがんばっても無理なので、適当にやろうということになり、覇気がないのではないかと思っている。

ただし、この見方はあまり合気道とは関係ないことなので、他の専門家の方々にまかせるとして、二つ目の文明の影響を見てみたいと思う。

合気道では、今の時代とは物質文明、物(モノ)主体の社会、力の世界、魄の世界である、とされる。そして、人はこの文明や世界では満足できない、と教えられている。

確かに、どんなにモノやお金を多く持っていても、人は幸福になれないだろう。どんなに美しい顔や姿をしていても、いずれは衰えるわけである。だから、若い時にそのようなモノに頼り過ぎるのは、いずれ年を取ってくると不幸になるはずである。

もちろんモノは社会でも人でも土台であるから大事である。合気道でも、「世の中はすべて根本は経済であります。経済が安定してはじめて、そこに道が拓けるのであります。」といわれている。

若者たちは、引き続きこのモノを求めているようである。しかし、若者たちは、世の中はモノや経済だけではないことに気付き始めているのではないかと思う。つまり、物質文明、物主体の社会での挑戦に意欲がなくなっているので、われわれ高齢者から見ると、元気がないとか、覇気がなく見えるのかも知れない。

三つ目の理由の高齢者であるが、若者の元気のなさの責任はわれわれ高齢者にもある、と考えるのである。一言でいえば、高齢者が若者に魅力がない、ということになる。高齢者を尊敬したり、そのような高齢者になろうと思わないのである。

高齢者が若者にとって魅力がない最大の理由は、高齢者が若者と同じ魄の世界に生きているからであると思う。つまり、若者と同じように、金やモノや力の物質文明に生きているのである。確かに、年を取ってあと何年生きられるか危ぶまれるような老人たちが、金の話をして、株の上がり下がりに一喜一憂しているのを見るのは滑稽であるし、哀れにも思える。そんな高齢者を見ると、若者たちは自分が高齢になった時に重ね合わせ、老後への楽しみも失せて、それなら適当にやろうと思ってしまうのではないだろうか。

ということで、では迷っている若者に対して、高齢者がやること、できることは何か、という本題に入るところだが、分量が多くなったので次回にする。