【第500回】  原点回帰

世の中は、どんどん便利になっていく。足をつかって歩いていたのが、車や電車・汽車、また飛行機などでどこでも容易に行けるようになり、人力で持ち上げたり、運搬していたものが、機械や重機が代わってやってくれるようになった。計算は電卓やコンピュータがやってくれる。食べ物も簡単に手に入るし、調理のために火をおこす必要もなく、スイッチ一つでできてしまう。

世の中の人、経済、科学は、便利さに向かって突き進んでいるといえよう。世の中は、より便利になったもの、便利にしたものに価値を置き、その対価を支払うのである。十分に早いと思われていた特急よりも速い新幹線は高く評価され、一層高い料金の対価を支払う。近い内に新幹線よりも早いリニアモーターカーが走るが、さらなる利便性を評価して、高額な運賃になるはずである。

便利とは己を煩わせない事であり、楽になることである。確かに、それまではトコトコ歩かなければならなかった所を電車やバスで行ければ、便利で楽である。手紙を書いて連絡し合っていたことが、携帯電話で用が足りる。子供の頃には共同用の水道からバケツで水を運んでくるのが、毎朝、学校に行く前の仕事であったが、今は家の中の蛇口をひねれば水はいくらでも出てくる。風呂に入るために、風呂の炊き口を火吹き竹で吹く必要もない。スイッチひとつで風呂は炊けるし、保温もできる。適温になると、わざわざ見ていなくともブザーで知らせてくれる。

世の中が便利になると、人は体を使わなくなってくる。つまり、体の退化であり、人間の退化である。人はより便利を謳歌しようとするから、ますます体は退化していくことになるだろう。

いずれボタンひとつ押せば、仕事を済ませてくれたり、座っているだけでどこへでも移動できるようになるかもしれない。足も体もほとんど使う必要がなくなるだろう。しかし、その頃には人の体がどれだけ退化しているか、心配である。

今頃の若者の体はどんどんきゃしゃになっている。とりわけ若い女性の脚は病的なほどに細かったり、歪んでいたり、まともに地に着けて歩いてない人さえみかける。このままでは、あと何年かたつと歩けなくなるのではないかと心配になるほどである。顔の化粧に気をつかうよりも、脚や体にもっと気を使ってほしいと思うが、当分は変わりそうにないようで残念である。

もちろん多くの人たちはそれに気がついて、体の退化を防ごうと武道やスポーツをしたり、ジムに通ったりしているようだから、そう心配する必要はないかもしれない。合気道でも、体を本来のものにしようと、原点回帰の目的で来ている人はいるだろう。

合気道は、原点回帰には理想的なものであると確信する。相手と争うのではないから、自分のペースで立ったり座ったり体を動かせるし、受け身では転がったり、関節技で関節や筋肉を伸ばしてもらえるので、体のバランスが取れて、無理なく気持ちよく原点回復ができることになる。

ただ注意しなければならないのは、世俗での便利性や楽をしたいという気持ちを道場に持ち込んで稽古しないことである。稽古において楽をしようと思えば、日常の生活と同じになって、体の退化につながりかねない。一挙手一投足を手抜きしないでやるようにしなければならないだろう。