【第50回】 急ぐことはない

世の中忙しくなった。大阪出張でも一昔前までは一泊二日かかったものだが、今は日帰りの仕事となった。一日の生活を考えても、朝はぎりぎりまで寝ていて、朝食もそこそこに電車に間に合うよう、わき目もふらずに駅に向かう毎日である。会社の仕事でも、効率のもと無駄がないように最短距離で処理しようとする。忙しくなったために、人は会社や学校を中心に生活し、仕事や勉学に関係のないものに価値を置かなくなってしまった。

合気道など、仕事や勉学に関係ないことをやることは、そのような無味乾燥な生き方に一寸味付けをすることになる。そうはいっても、合気道の稽古にも簡略化がはびこり、忙しくなっている。相手を投げればいいとか押さえつければいいなどと、最短距離を進もうとする。稽古も時間内だけやって、復習や出来なかった技や動きの研究をしあうということも少なくなった。

合気道の稽古は、ある意味ででは寄り道を楽しむことであろう。一つの形を技を駆使してやるわけだが、それを上手くやるためにはその技に直接関係のない稽古を沢山しなければならない。それは基本技であったり、呼吸法などの稽古であったり、剣や杖の素振りや手裏剣打ちであったり、四股、山登り等々である。また、他の武道や武術、芸能などを研究したり、本やビデオを見たりすることもある。

合気道は相手を投げる、制するということを目的にしているが、短絡的にやってはつまらない。技をかけるとき、自分の手足や体の動きが相手にどのような影響を与えるのかを感じるよう、感覚を鋭敏にして稽古をしなければならない。投げることだけを目的にしていると、結果までの過程(プロセス)の楽しみが欠けてしまってもったいないことである。人はプロセスから多くの感動を得、多くのものが学べるのである。プロセスを大事にした技は相手を納得させ、無理なく倒れてくれる。

道を歩くにも、目的地に少しでも早く行き着きたいと、それだけを考えて歩けば、途中の景色や人、季節の移り変わりなどの新鮮さや感動を逃してしまう。それほど急ぐ必要もないのに、習慣的に電車やバスに無意識で乗ってしまう。目的に急ぐよりも、そこまでの途中を楽しんだらよいのだ。特に、高齢者は時間に余裕があるだろう。急ぐことはない。ゴールとなる死は確実に近づいている。少しでもよい人生になるようプロセスを楽しもう。