【第498回】  来年、10年後を楽しみに

合気道を始めてから50年余りになったが、やっと合気道の入り口に入ったというところである。別ないい方をすれば、ようやく合気の道にのって、合気の道を進み始めた、ということであろう。

最近、再三書いているように、合気道とは思ったより難しいものであり、最初に予想していたものとは全然違っていた。合気道が難しいという理由にはいろいろあるが、一言でいえば、合気道が宇宙規模である、ということだろう。つまり、過去現在未来という時間を超越し、日本とかアジア、ヨーロッパなどの地域だけでなく、顕界・幽界・神界などの次元も超越するものなのである。

合気道は形稽古を通して、技を錬磨し、宇宙の条理に則った技を身につけていくわけだが、その技は先述の時間や空間や次元でも通用するものでなければならない。今の世の中や、己のいる場所だけで通用するものであってはならない、ということである。

だから、合気道は難しい。難しいと思わない内は、まだまだ初心者の段階にあるといってよいだろう。

だが、合気道は難しいとか、稽古で問題や疑問を持つようになってくれば、合気の道があることを感じ始めたといえよう。そして、合気道とは何か、稽古とは何か、技とは何か、等を考えるようになると、合気の道に片足がかかり、合気の道に立ったことになるだろう。

合気の道にのれば、後は進むだけである。道とは、自分と合気道の目標をつなぐ橋である、と考える。その道を目標に向かって進んで行くことが精進であり、目標に一歩でも近づくことが上達ということであろう。

合気道は相対での形稽古で技をかけ合いながら精進していくが、技は思うようには効かないものである。技が効かないのは、主に二つの原因があると考える。

一つは、法則違反である。合気道の技は宇宙の法則を形にしたものであるから、その法則に則っていなければ、技として効かないことになるのである。例えば、陰陽をひとつ間違えても、技は効かないだろう。

二つ目の技が効かない理由は、呼吸力不足である。呼吸力養成にも限界はあるが、できるだけ呼吸力を身につけるようにしなければならない。呼吸力という力も、あればあるほど技はつかいやすくなるからである。

従って、合気道の主な稽古は、宇宙の法則を身につけることと、呼吸力の養成であると考える。呼吸法や形稽古で法則を見つけ、それを技で活用し、その法則を身につけ、そしてまた呼吸力を養成する訳である。だが、そう簡単に技でつかえたり、身につくものではない。

身につくためには、やるべき事を一つ一つやりながら、進んでいかなければならない。例えば、合気の体をつくる、内臓を丈夫にする、縦横呼吸の養成と強化、等である。

それを一生懸命にやったとしても、身についていくのはほんのわずかである。一度に全てがうまくできるようになることはないであろう。

二教裏でも、効かないものは効かないのである。受けの相手が弱ければ効くだけの話である。一番大事な事は、効く効かないではない。二教をかけることにより、それが自分の稽古になることである。効かせて相手を倒すことではなく、相手の手首を取り、己の指を腰腹と結んで、息に合わせて腰腹で指先を締めるのである。もし相手にそれ以上の力があれば効かないし、無ければ効くわけである。

つまり、効く効かないは、こちらが技をかけた結果である。だから、相手が強かったり頑張ったりすれば、効かない場合もあるだろう。効かなくても仕方がない。しかし、しっかりと自分のための稽古をしていれば、その内に指に腰腹の力が集まり、呼吸も使えるようになる。そして、その相手にも二教が効くようになるはずである。明日にはできるようになるかもしれないし、明日できなければ、来年にはできるかもしれない。

二教だけでなく、多くの今できない技が来年にはできるようになるかもしれない。来年を楽しみに稽古していけば、5年後はもっといろいろなことができるようになるかもしれない。10年後はもっと楽しみになるだろう。

10年後にはお迎えが来て、稽古などできないかもしれないが、それは大事なことではない。合気の道にのって、その道を進んで行くことが大事なのである。合気道のゴールに近づいていくことが、大事なのである。

年を取っても、10年後を楽しみにできるような稽古をしていきたいものである。