【第490回】  深く静かに潜航せよ

古希も過ぎて、仕事などの競争社会から一線を置いて生活しているわけだが、おかげで自分の周りの人や、社会、国が見えるようになってきた。また、自分自身も見えてくるようになってきた。競争社会に生きていた時には見えなかったものが、見えてくるようになったわけである。

やはり、先人たちが言われているように、70才、80才にならないうちは、何も分からない鼻ったれ小僧だったとつくづく思う。

若い時の興味は、例外も多いだろうが、一般的には少しでも広い世界を知ろうとすることであろう。学校に行って、数学、文学、科学、語学等を勉強をしたり、クラブ活動で野球、テニス、陸上競技等のスポーツをし、会社では仕事でいろいろな世界を体験し、趣味の世界でも旅行をしたり、合気道などの武道の世界を知ろうとするものだろう。

年をとり、高齢者になってくると、それまでやって来たこと、経験してきたことが、自分をつくり上げていることを実感できる。それ故、人によっては、あの時、あれをやっておけばよかったのにとか、できなかったのは残念だとか、思うはずである。

古希をこえた高齢者として、若者には、全身全霊で少しでも多くのものを見、内外のいろいろな人と直接間接にコンタクトし、学び、教えを受け、身をもって体験することを勧める。

今は、大変な競争社会である。寄り道していると就職できないとか、年をとるとよい仕事に就けない、などの心配もあるだろうし、そうできない事情もあるだろうが、少なくとも一度は自分の本当にやりたいことは何か、また、それをやるべきかどうか、を真剣に考えることを願うものである。

若い時というのは、幅広く世界を知ることで、少しでも多くのことを体験する量的な生き方をする時期である、と考える。

これに対して、高齢者の生き方は一つの事、またはいくつかの事を、深く掘り下げていく、質的な生き方をする時期になると思う。

我々が修業している合気道で考えれば、入門した若かった頃は、少しでも多くの技の形を覚えようとしたし、それを数多く身につけている先輩や同輩を評価していた。

しかし、高齢者になると、数や目新しい技を多く知っていることが大事なのではなく、大事である事をどれだけ深くできるかが大事であり、興味の対象となる。

これを合気道の教えから見てみると、若い頃と高齢者のやり方や生き方は、横と縦の十字ということになる。合気道では、万有万物は縦と横の十字で生成され、営まれており、十字で天の浮橋でバランスが取れる、と教える。

若い頃の横と、高齢者の縦のバランスが取れれば、その人は天の浮橋に立つことになり、安定した生き方ができることになるはずである。逆に、若い時の横が短かすぎると、無意識で長くしようとするもので、若い時にやるべきだった事を高齢者になってやることになるようだ。実際、多くの高齢者が外国旅行、登山、稽古事などに励んでいる。

従って、若い頃やらなかったこと、できなかったことを後悔することはない。いくら年をとっても希望すれば、体が動く限りはできるものだ。

だが、いずれは高齢者としての縦の生き方に入っていくようにしなければならない。映画のタイトルではないが、深く静かに潜航したいものである。そして、十字の天の浮橋に立つのである。