【第49回】 外の声を聴く

若いうちは、気が多いものだ。あれもやりたい、これもやりたいとか、「隣の芝生はよく見える」といわれるように、自分のやっている事より人がやっているものの方がよく見えたりする。また、合気道の稽古でも、自分のやり方が一番いいと思って、外の声をあまり聴こうとしない。

高齢者になると、やりたい事も限られてくるし、興味のあるものとないものがはっきりしてくるので、若いときのようにまわりの事や他人に惑わされなくなる。従って、本当に興味があること、好きなことに集中することができるわけである。合気道に集中して稽古していれば、他の武道道場に通って他の武道を稽古しようとは思わないだろう。また、合気道をやっていて、他の武道も平行してやるということは、合気道に対して失礼であると思うはずである。

合気道の稽古とは、合気道を深く々々探求していくことであるから、道場だけが稽古の場ではない。世の中にはいろいろな分野でいろいろな事を追求している人が沢山いる。その中には、自分たちの考えや理論を、本やテレビや新聞などで披露してくれる人もいる。物事を集中してやっていると、そのような外の声が聞こえてくるし、目についてくる。ふとした声に耳が傾くし、一寸した文章や記事にも目が留まる。今、欲しい、聴きたい、また、見たいと思って、探しても見つからないような情報がふしぎとタイミングよく自然と飛び込んでくる。

合気道を長年やっていると、いろいろな問題や課題が次々に出てきて、その解決を一つ一つしていかなければならなくなる。しかし、その解決の多くは、合気道の領域だけで解決されるものに限らず、合気道とは全く異なる分野での知恵や情報にも及ぶので、合気道の分野から拡大して、結局、世の中のもの全体に興味を持つようになってくる。人、自然、宇宙、芸能、書籍、メディア、衣食住などなど、すべての目につくもの、耳にするものが含まれる。そして、自分と世界が繋がっていると実感できるようにもなる。

高齢者の合気道は、どんどん深く合気道に入り込み、外の声を聴くようにし、そして世界とのつながりを楽しむことが出来ればよいと思う。