【第489回】  お返し

定年になると年金を貰ったり、時間もそれまでのように不自由せず、自分の好きな事が存分にできるようになる。まだ70数年しか生きてないが、それでもさまざまな所で多くの人に会い、いろいろな経験をしてきたものだと感慨深いものがある。

今の自分、つまり、今の心や体や考えなどは、これまでに巡り合ったすべての人や所やものと結びついていると感じる。すべてが、今につながっているわけである。これまでの一つの経験や出会いがなかったり、それと違ったものであったら、今の自分も変わっているはずである。だから、若い人たちや後進達には、少しでも多くの体験をしてほしいと思う。それほど遠くない先での死の間際に後悔をしないように。

若い内は、主にもらう時期である。例えば、教えてもらう、導いてもらう、面倒見てもらう、などなどである。

これまでに、いろいろな方々にお世話になった。お金を払って、有料でお世話になったものもあるし、お金を払わず、無料でお世話になったものもある。だが、無料の方が断然多いだろう。

今まで経済的、そして精神的に余裕がなかったので、できなかったことだが、定年後は今までお世話になった分をお返ししなければならない、と思うようになった。金にならなくとも、人からお礼をいわれなくとも、人のため、世の中のためになると思う事をやるのである。

具体的な私のお返しの例は、この論文にあるように、合気道を研究し、それを後進に残していくことである。20,30年後に少しでも参考になってくれればよいと思うが、もし意味がないものであるなら、自然消滅するはずである。後の事を心配する必要はない。

私は若い時期も精一杯楽しんだが、お蔭様で後の高齢期も楽しめそうである。有難いことである。

先日、「朝日新聞」(2015.8.11)の「人生の贈りもの わたしの半生」で写真家・作家の藤原新也さん(71才)が、人には“いただく”年季と“返す”年季があり、60才を過ぎても何も他者に返さない人生というのは精神衛生上よくない。今の大人は返さないからよくない。いただいたものを返して差引ゼロになって死ぬのがいちばんすっきりするのだ、といわれている。この見方で高齢者を見ると、今の高齢者の問題が見えてくる。

年を取っても“いただく”だけで、それも更にいただこうとするのは、精神衛生上よくないし、幸せに死ぬ事もできないのではないだろうか。いただいたものを差引いてゼロになるように、お返しをしていきたいものである。