【第475回】  大先生の教え

本部道場で大先生に教えて頂いたのは、およそ5,6年間ということになるだろう。その頃の稽古人は、開祖を大先生とお呼びしていた。開祖というと、少し遠い存在になるような感じがして、外部の人しか使ってなかったと思う。ちなみに二代目道主となる吉祥丸先生は、若先生とお呼びしていた。

大先生からは、合気道だけでなく、生きる上でも大事なことをいろいろと、数え切れないほど教えて頂いた。だが、そのことが解ったのは少し前のことで、入門してから半世紀も過ぎてからのことであった。やはりいろいろ経験して、年を取らないと、人は何も分からないようである。

入門した頃、大先生は頻繁に道場にお見えになって、演武をされたり、合気道とは何か説明されたり、またお客を伴って、お客に合気道の説明や演武を見せたりされていた。

しかし、大先生の技を拝見してすごいなと思っても、どうしてそうなるのかは分からなかったし、大先生のお話も少しもわからなかった。なにしろ若かったので、それよりも稽古がしたくて、早くお話が終わらないかと心で念じ、もぞもぞしながらお話を聞いていたのだ。まったく不謹慎な稽古人であったし、もっと真剣にお話を聞いていればよかった、と今は反省している。

大先生が居られなくなったので、大先生の思想や精神を『合気神髄』や『武産合気』で勉強しているが、大先生の言葉を耳にしていたおかげで、大先生を知らない人達よりも少しは分かるのではないかと思う。今となっては、大先生のお声を聞き、技を見られたことに感謝している次第である。

大先生から教えを受けたのは私だけでなく、多くの先輩や同輩もそうであった。すべての稽古人のための共通の一般的な教えの他に、内弟子や一部の方々には、その方に向けての教えも授けられたようである。もし特別の教えがあるのであれば、是非伺いたいものであるが。

些細なことであるが、私にも大先生の教えがある。しかし、大先生が特別に私のために教えて下さったのではなく、結果的に大きな教えになったものである。それが年を取ってから分かったのである。

入門して2,3か月の頃だが、3時〜4時の稽古が終わって、次の稽古まで白帯の同輩と正面打ちの自主稽古をしていた。当時の正面打ちは受けの攻撃が厳しく、思いっきりこちらの腕を打ってくるため、腕(尺骨)はいつも赤くはれていた。そこで、その同輩とは、打たれても痛くないようにすればよいということになり、打ってくる時に腕をぶつけず、転がすように腕をつかえばよいということが分かって、その発見に嬉々としていた。

だが、それを道場の隣にあった事務所のガラス越しに、大先生がご覧になっていたのである。ふとそちらを見ると、大先生がこちらをあの大きな目を見開いて見ており、しかも、大先生と目が合ってしまったのである。すかさず大先生は事務所から飛び出し、道場にお入りになるなり「そんな触れたら倒れるような稽古をするな」と叫ばれたのであった。

道場では、前と後の時間を教えられる師範が、数人の先輩5,6人と談笑されていた。ところが、大先生はその師範に向かって怒られたのである。私たちは怒られるものと覚悟していたが、関係のない師範に向かって怒られたのである。

もちろん師範や先輩には、なぜ怒られるのか分からなかったのであるが、神妙に大先生のお説教を聞かれていた。数分してから、大先生はご自分の部屋に戻られた。

私たち以外にも何組かが自主稽古をしていたので、誰が犯人かは分からなかったようだった。師範はなぜ自分が怒られたのかわからなかったので、ちょっとぼやいていたが、犯人探しなどもしないで、また先輩たちと談笑をはじめたのはさすがであると思った。われわれもそうだが、みんな大先生に怒られ慣れしていたこともあっただろう。

さて、大先生の教えであるが、先ず一つ目は、いかに初心者であってもやるべきことはきちんとやらなければならない、という教えである。正面打ちはしっかり打ち、しっかり受け止めなければならない。今の稽古ではそれをやらずに、少しでも痛くないよう、楽なようにやっているが、それでは実際に効く技、つまり相手を納得させて導く技は、出ないはずである。あれは、大先生の警告の教えだったと思う。

二つ目の教えは、大先生が問題の原因である張本人ではなく、その場の最古参者に対して怒られたことである。要するに、監督不行き届きであるということである。間違ったことをする者がいれば、その場の最古参者が注意をしたり、正さなければならない、ということなのである。

確かに張本人たちは白帯で、よく分からなかったのであるから、間違えるのは仕方ないことであり、それを叱るのもおかしなことである。もしあの時、大先生が我々を直接怒っていたりすれば、初心者だからしょうがないだろうと逆切れして、稽古を止めたりすることもあったかもしれないと考える。

大先生の教えは、年を取るに従って生きてくる。一つ目の教えにより、気の体当たりと体の体当たりを大事にするようになった。これが技の最初で、大事であることがわかったのである。

二つ目の教えであるが、今は自分が古参兵になったので、道場で若い稽古人が合気道に反する間違いをすれば、進んで注意することにしている。本来はあまりそういうタイプではないのだが、大先生の教えであるので、やるように努めているのである。