【第473回】  片岡球子と四魂

人は125才ぐらいまで生きることができる、と信じている。今はまだ精々110才ぐらいまでしか生きていられないようだが、近い内に125才まで生きる人が現れ、そしてそれに人は続々と続くのではないだろうか。

動物の寿命は成長期の5倍という説がある。人の成長期を25才くらいとして、それに5を掛けて125才というわけである。それを信じるというよりも、その理論を使わせてもらっているのであるが。

125才には届かなくても、とりあえずは100才を人の寿命と考えることにしている。それよりも若い90才や80才で亡くなれば、早死にということになる。早死には早死にで、あちらさんのこともあるだろうから仕方ないことだろうが、100年間を少しでも有意義に送りたいと考える。だから、100才まで生きて、立派な仕事を残した方々がどのような生き方をしたのか、興味があるし、教えてもらいたいと思う。

最近、103才まで生き、生涯現役といわれた日本画家の片岡球子の展覧会を見に行ったが、大いに勉強になった。彼女の絵は、デフォルムされた形や鮮やかな色彩などが印象的であるが、私が一番興味をもったのは、彼女の生き方、彼女が描く絵の変革であった。

第一段階は、おだやかな色彩、おとなしい筆線の、典型的な日本画の段階である。その代表的な絵は、近所の枇杷畑の枇杷を25才で描いた「枇杷」(写真)である。彼女の絵描きの才が芽生えてきた時期なのだろう。

第二段階は、大胆なデフォルム、鮮やかな色彩の人や風景の絵である。日本画とは思えない、絵の具を盛り上げた面が描かれていて、自由奔放さ、力強さを感じる。

第三段階は、61才(1966年)から99才までのライフワークとする「面構(つらがまえ)シリーズ」であるが、歴史人物、歌舞伎役者、能役者などの面構えを描いたものである。「足利尊氏」(写真)「足利義光」「足利義政」が並べられて展示されているが、それぞれの特徴がよく表わされている。

第四段階は、78才で取り組み始めたテーマの裸婦シリーズである。これまでの作品にあるような鮮やかな色彩や大胆な造形は見られない。

展覧会では、主催者によってこの四段階に絵を分類して展示されていたが、分かりやすく納得できる分類であると思った。というのは、合気道の教えでは、宇宙の運行は一霊四魂三元八力ということになっており、モノの心である四魂が片岡球子にも同じように働いていることがわかるからである。

つまり、「枇杷」を描いた彼女の第一段階は、彼女の才能が湧き上がってくる時期で、合気道でいう「奇霊」の働きである。
第二段階は、大胆、自由奔放、力強い時期で、「荒魂」の働いた時期。
第三段階は、61才から自分のライフワークを見つけ、自分の描くものが定まってきた時期で、「和魂」の働きといえよう。
そして第四段階は、78才で取り組み始めた裸婦シリーズである。これまでの作品にあるような鮮やかな色彩や大胆な造形は見られないが、深みのある、一度見たら忘れがたい作品シリーズである。人が年を取っても仕事をするということは、どういうことか教えてくれるもので、「幸魂」ということになるだろう。

球子の絵描きとしての仕事を四段階に分けて、そして、合気道の四魂に合わせて見てみたが、人は誰でもこのように生きているのではないだろうか。生まれる時は「奇霊」が働き、若い時は「荒魂」、年を取ってくると「和魂」、晩年は悟って、そして死、と「幸魂」が働くわけである。

つまり、人の人生一般に四魂が働くと同時に、絵を描いたり、合気道を修業する場合にも四魂が働くわけである。われわれ合気道家にも、少なくとも四魂の内の二つが働いていることになるだろう。この四魂が人生でも稽古でも働いてくれないと、おかしな人生、おもしろくない稽古になってしまう。

自分の合気道はまだ50年であり、人生もまだ70余年にしかならない。まだまだ「荒魂」「和魂」の働いている段階のようだ。悟って、「幸魂」にお世話になるのは、もう少し先のようである。