【第472回】  体と心を開く

年を取ってくると、体も心も内向きになってくる。背中が丸まり、胸を縮め、心も過去の事、些細な事にこだわるようになる。若い頃のように、背筋を伸ばし、胸を張り、未来を夢み、天下国家に心を向けるのが、徐々に難しくなってくる。

体や心が内向きになるのは自然の摂理のようだが、合気道はそれを改善するようにできているように思える。

しかし、合気道の稽古でも、ただやっているだけでは、その自然の摂理に流されてしまい、体と心の内向きは解消されないだろう。体と心の内向きを解消するためには、そのような稽古をしなければならない。即ち、宇宙の条理に則った稽古、つまり、体づかい、息づかい、技づかいをしなければならないのである。

日常生活ではたいていの場合、物を引っ張り込む動作をしているだろう。対象を自分へと力で引き込むわけで、これは求心力をつかっていることになる。長年、求心力をつかっていると、体はそれに対応し、背中が丸まり、胸が閉じてくるようになるようだ。

合気道の稽古で、丸まった背中を伸ばし、胸を開くわけであるが、つまり、それまで培った求心力のかわりに、反対の外側へと働く遠心力をつかうようにするのである。

遠心力を出すには、腰腹と手足の末端を結んで腰で手足をつかう、息に合わせて動く、息を縦横十字につかう、などがある。特に大事なのは、引く息である。胸式呼吸で息を横に入れていくと、大きな力である呼吸力が出てくるが、この際に胸が大きく広がり、背中の丸みが取れるのである。

胸を大きく開いて息を入れると、気(宇宙生命力)が体に入ってきて、体内の細胞が活性化し、今までと違った力と感覚が現れるものである。これまで見えなかったモノが観えるようになるし、感じるようになる。世俗のことが頭から消え、何が大事なのかが見えてくるのである。

道場の稽古だけでなく、モノを見るのにもこの胸式呼吸でやれば、そのモノの心が観えるようになるだろう。光輝くお日様、道端の草花、仏像、能面等々の心が観えるようになるのである。

なれてくれば、わざわざ胸式呼吸をしなくとも、モノの心が観えてくるようになるようだ。この時点で、胸と心、体と心が開いてきたことになるだろう。そうなると、真の自分が観え始めてくるようになるようである。自分が観えてくると、宇宙も観え始めるようだ。

合気道の目標は、宇宙との一体化であるから、宇宙も少しずつ知るようにしなければならない。まずは、体と心から開くことから始めるのがよい、と考える。