【第462回】  未来への修業

合気道の稽古を始めて、既に50年以上になるが、その間に自分が時と共に少しずつ変わってきたというのが面白いものである。

入門当時の自分の稽古は、何とか少しでも上手になろうという一心で、他人のことなど無視したり、他人に迷惑をかけながら稽古していたのではないだろうか。大先生が、合気道は戦争をなくし、平和のため、世界のためにあるとか、宇宙楽園建設のために稽古している、などと話されていたのだが、それもよく分からず、というより、分かろうともせずに、がむしゃらに稽古していた。

当時は、世間にまだ知れ渡っていない合気道を稽古しているのが得意で、周りの友人、知人に自慢したものだが、「合気道って、なんだ?」と聞かれるとうまく答えられなかった。四方投げで投げたり二教できめて、これが合気道だ、とやりたかったが、さすがにそこまではやらなかった。

やらなかったことはせめてもの救いであるが、要は、合気道を全然わかっていなかったのである。分かっているつもりになって、稽古を続けていたのである。

自分のため、自分の世界での稽古は、当分続いた。同じように自分のための稽古をしている相手と稽古すると、時としては争いにもなった。気持ちと気持ち、力と力の力比べである。そこで、さらに力をつけようと、得物や筋力トレーニングなどやることになる。しかし、相手もやるわけだから、力比べの稽古は変わらなかった。

そのような稽古を長年繰り返すことになって、これではいけない、この力比べの稽古から脱却しなければならない、と思っても、どうすればよいか皆目見当がつかなかった。

この時には大先生は既に亡くなられていたが、有難いことに有川定輝先生がおられて、導いて頂いたのである。つまり、やるべきことをきちんとやり、合気道の原点である、大先生のいわれる合気道に立ち返った稽古をしなければならない、ということである。

それは、これまでの稽古のやり方を忘れ、ゼロからやり直すということであった。これまでとは真逆であり、異質の稽古なので、忍耐のいる、心の稽古であった。だが、時に元に戻って力の稽古をしていると、先生が何気なく注意して下さったり、時には丁寧に技の説明をして頂いた。先生がおられなかったら、自分はまだ力比べの稽古を営々とやっていたことだろう。

開祖の聖典である『武産合気』『合気神髄』を初め、武道書だけでなく、踊りなどの芸能関係の本まで紹介されて読むようになったし、稽古のやり方も教わって、変わっていったのである。

それまでの、稽古すれば上達する、というのは迷信であり、上達するように稽古をしなければならない、ということがわかって、そのような稽古をするようになった。

お蔭様で、合気道がやっとわかってきた。昔、聞かれた「合気道って、なんだ?」にも、ある程度答えることができるようになったようである。もちろん、まだまだ未熟であって、人間国宝の竹本住太夫大夫ではないが、今でも中堅であることに変わりはない。

入門当時は、合気道とは何か、に答えることができなかった。その後でも、答えることができたとしても、その答えは合気道を稽古していたり、武道の関係者にはわかっても、武道に関係のない人にはわからないか、わかりにくい答えであったのではないかと思う。

合気道を稽古したり、あるいは武道家なら、ある程度の事をいえば、残りは各自補ってくれるから、わかってもらえるだろう。だが、一般の人、合気道も武道も知らない人にも理解され、納得される答えを出さなければならないであろう。

歴史上で名の残っている人の言葉で、今でもなるほどと思い、感銘をうけるものが多くある。ということは、人に感銘を与えるものは、分野や時代に関係ないという事であろう。我々が感銘を受けるそれらの言葉が過去のもので、合気道とは別の分野の人の言葉であっても、やはり感銘を受けるのである。おそらくそれは、未来の人達にも感銘を与えることになるだろう。真の言葉には、時間(時代)も空間(分野、地域)もないわけである。

言葉は思想であり、思想を字の形に残したものである。本当に価値があるものは形に残るから、この世から消えず、未来にも残るのである。どんなにすばらしいものも、字や絵のように形にならなかったものは、残念ながら消滅するわけである。

合気道には形があるから、真の形なら未来へも受けつがれ、残っていくはずである。合気道には、時間や国(空間)を超越したすばらしい思想があり、それを形にした言葉もある。これも、未来に受けつがれるはずである。

大先生の言葉だけでなく、合気道同人は各自が未来にも残るような言葉を残すよう、未来のための修業をすべきだと思うようになった次第である。