【第456回】 高齢者の稽古指針

合気道の稽古を始めて半世紀になるが、それにともなって年も取って来るものだ。これまで訳もわからずがむしゃらに稽古してきたということが、今になってやっと分かってきた。そして、これからは真の合気道の稽古をしなければならないと思う。

人によって異なるが、だいたい60代頃までは力や体力に頼った稽古をするものではないだろうか。形稽古で受けの相手を投げたり抑えたりする場合でも、力や腕力に頼ってしまうのである。形を知っている相手を形で制することは難しいのだが、どうしても力で倒そうとしてしまうものだ。

それに気がつき、相手が自然に倒れるようになるためには、力や体力がなくなって、そのようなものに頼れなくなる頃まで年を重ねなければならないようである。

力や体力に頼れなくなって初めて、どのようにすれば技が効くようになるかを考えるもののようだ。また、技が効くとはどういうことなのかということも、考えるようになってくる。

結論をいえば、技が効くとは、以前から書いていることだが、こちらがかけた技で相手が自ら納得して倒れることである。つまり、相手を倒そうとか、抑えようと思って、技をかけている内は駄目で、こちらが倒そうとしなくても、相手が自ら倒れるようにならなければならないのである。

技をかけた相手が納得して倒れるには、その技が理に合っていなければならない。理に合っていると、余分なものはなく、不足するものもない。つまり、自然である、といえる。合気道的にいえば、真善美を兼ね備えているということになる。

さらに、その理合いが宇宙の意思、宇宙の条理に合致していれば、誰でもその技に納得するだろうし、その質がよければよいほど、納得の度合いは大きくなるだろう。これが高齢者の求めるべき強さである、と考える。

若い頃は、相対で相手を投げたり受けを取ったりしながら、体をつくり、気持ちを練っていた。思い切って体を動かすと、今日もよい稽古ができたと思えたし、体も毎日々々変わっていき、その変化と進歩に満足することができた。

だが、年を取ってくると、そのような激しい稽古はできなくなってくる。稽古で満足するためには、今までとは違った稽古をしなければならないだろう。高齢になっても、若い頃の稽古での満足感を得られるようにしなければならないし、そうしたいものだと思う。

それまでやってきた稽古の結果を土台にして、今度は高齢者ができること、高齢者にしかできないこと、高齢者が続けていけるような稽古をしていくべきだ、と考える。