【第452回】 目標を見定める

前回は「高齢者の稽古の方向性」で、合気の稽古を長く続けるにはどうすればよいかを書いたが、今回は、先に立ちふさがるだろう障害を乗り越えるためにどうすればよいか、を研究してみたいと思う。

高齢者の稽古を長く続けさせる最大のものは、稽古の目標を持ち、そして、それをどれだけしっかり持つことができるかどうかであろう。目標がなければ稽古にも目標がないことになり、上達はない。なぜならば、目標と自分を結んだものが道であり、その道を行くのが修業であり、稽古であるからである。

そして、この道の上で目標に近づいていくことを上達というはずである。また、この道にのっていない稽古を、道から外れた外道というのではないだろうか。

合気道の稽古の目標を持つのは、そう難しくはない。開祖が、合気道の目標は宇宙との一体化である、といわれているのである。問題は、それを確信できるかどうか、そして、その目標に向かって稽古するかどうかである。

若い内は宇宙との一体化などどうでもよくて、体を動かしてエネルギーを発散することが稽古の目標であったと思う。開祖の貴重なお話にもあまり耳を傾けず、早くお話が終わって暴れたいとむずむずしていたようで、罰当たりなことであった。

高齢者になってくると、稽古の目標を考えるようになったが、目標を定めるのは容易ではなかった。その原因は単純明快、合気道のこと、自分のこと、世の中のこと等々、何も分かってなかったのである。例えば、稽古している合気道とは何か、また合気とは何か、気とは何か、道とは何か等、なにも分かってなかった。今でもよくわからないが、高齢者になり、少なくても分からないことが分かってきて、分かろうとするようになった。

開祖は前述のように、合気道は宇宙との一体化であるといわれているわけだが、開祖がいわれているのだから、それを己の稽古の目標にすべきであると考える。だが、この目標は遠い遠い彼方にあって、容易にはたどり着けない。

しかし、これがすばらしいことなのである。なかなかたどり着けないということは、稽古を長く続けなければならないということになる。もしかすると永遠にたどり着けないことであるかもしれないのだから、これは、挑戦である。つまり、高齢者の稽古も、終わりなく続けなければならないことになる。もし必ずたどり着くことができるのなら、挑戦する必要もないだろう。

まずは、稽古の目標を再確認し、それに挑戦していくことが、稽古を長く続ける最大の原動力であると考える。