【第451回】 高齢者の稽古の方向性

高齢者の稽古で大切なのは、稽古をいかに長く続けるかということだろう。長く稽古を続けるためには、まず、怪我や病気をしないことである。高齢者は若い頃と違って、怪我や病気をするとなかなか回復しないので、それを期に稽古から離れることになるからである。

もう一つは、挫折しないことである。挫折するというのは、壁にぶつかって、これが自分の限界だということで、稽古をやめてしまうことである。

高齢者がこれらの障害に妨げられないようにするためには、無理をしないことがあげられる。無理というのは、理の無いことをしない、ということである。理に合う、理合いの稽古をしていかなければならない。

理合いとは、宇宙の条理・法則に従う、則るということである。従って、理合いの稽古とは、宇宙の条理・法則に則った稽古、つまり、体づかい、技づかい、息づかい、気づかい・心づかいに従って稽古する、ということである。

年を取るに従い体力や腕力は弱くなってくるから、その力に頼っては技が効かなくなるだけでなく、体を痛めることにもなる。それ故、体力や腕力を補うというよりも、それ以上の「力」をつかうようにしなければならないことになる。

その「力」とは、呼吸力である。呼吸力とは、遠心力と求心力を兼ね備えて、相手をくっつけてしまう引力のある力である。この呼吸力で、息と体を陰陽十字につかい、それを心で導いていくのである。

これでやると、技の速い・遅いの速度、激しさ・柔らかさ、厳しさ・やさしさなど、腕力では難しいようなことが相手に合わせてやれるし、また、自分の気持ちに合わせて自由に調整することも容易になる。そうなると、相手に合わせて稽古ができるので、相手に怪我させず、自分も怪我しないで、稽古ができるようになるのである。

この段階に入ると、誰とでも稽古できるようになる。つまり、相手が誰であろうと、自分も満足でき、相手も喜んでくれるような相対稽古ができるわけである。これがつまり、相手はいるが、相手はいない、といわれる稽古である。すなわち、相手と自分が一体化し、お互いの壁や殻がなくなり、一つになるのである。そうなると、1+1=1になるので、自分の思うままに自由に動き、技をつかうことができるわけである。

この段階に入れば、高齢者でもお迎えが来るまで稽古を続けることが可能だろうと思う。

しかし、高齢者が年を取っていけば、予想もしていなかった事が自分の心体や周辺に起こるだろうから、稽古が今の延長上線にあるとは思えない。まだ見えぬ稽古妨害要因に負けないで稽古を続けていくためには、さらなる重要事項があると考えるが、それは次回とすることにする。