【第411回】 80歳ぐらいまでは若者に引けを取らない

人は幻想、誤認、世相、謂われ、悪弊、思い込み等などによって、自分の判断や考えを負の方に導いてしまう癖があるようである。

例えば、定年後は好きことをして悠々自適の余勢を送ればよいとか、70歳で老人(現在では後期高齢者といわなければならないらしい)であり、70歳ぐらいになれば、若くて元気な若者には敵わない、等などである。

だが、現在の日本人の平均寿命は80歳以上であるし、100歳以上の方が3万人以上もおられるという。60歳や70歳でしょぼくれていては、平均寿命まで生きるとしても、後の10年、20年をどう生きるのか、他人ごとながらも心配になる。

その原因は、過去の寿命を「人生50年」と謡っていた信長の時代よりは少しばかり進んだ60歳、70歳に設定した社会制度から、社会が変わってないからだ、と考える。

たとえ定年が60歳や65歳であっても、80、100歳まで生きるのでは、社会制度に振り回されない生き方、考え方をしなければならない。もちろん、定年制や年金制度、労働システムなどは、現実に合うよう、国民が老人になっても幸せに暮らせるように、変えていかなければならないだろう。

最後の武芸者といわれ、86歳まで生きて、剣道界で活躍した中山博道は「剣道は、正しく修行した者ならば80歳までは若者に負けることはない」といっている。

彼はいう。「年を取れば体力も劣ってくるし、敏活な動作も鈍るのは当たり前ではあるが、剣道には竹刀という特別な介在物があることを忘れてはいけない。この竹刀にかけられた積年の労が効果を発揮し、若い力や、若い動や、若い術に十分対応し、年齢より来る衰えを防護してくれるのである。」― 堂本昭彦『新装版 中山博道剣道口述集』152-153頁、スキージャーナル

合気道でも、60歳、70歳で、若者にはとてもかなわない、ついていけないなどといって、若者との稽古を敬遠する者も多くなるようだ。だが、中山博道を見習うべきだろう。

もちろん、合気道の開祖も年を重ねるにつれて強くなられ、最後まで若者に負けることも、引けを取ることもなかったことも、肝に銘じるべきである。

中山博道が言うまでもなく、誰でも年齢よりくる衰えはあるから、それを防御してくれる、つまり補うものが必要であろう。剣道の場合は竹刀であり、竹刀にかけた積年の労である。合気道の場合は、技ということになるだろう。技で若者の力や勢いを防御するのである。

技とは主に、法則と呼吸力からなるものである、と考える。技は、宇宙の営みを形にした宇宙の条理に則った、宇宙の法則に合するものでなければならない。宇宙の法則を身につければつけるほど、上手ということになるので、少しでも長く修行を続けなければならない。若者はそれを身につける時間が短いために、十分な技を使うのは難しいだろう。

若者には若者の特徴である体力、勢い、持久力などはあるが、その利点が負にも働く。この負に気づいて、次の段階位で利にするには、ある程度の年を取らなければならないだろう。

力と勢いで技をかけても、それは物資的な力、魄の力であり、ぶつかって相手を弾き飛ばす力である。若いうちは魄力をどんどん付けるように鍛錬すべきだが、年を取るとできなくなるし、そのような力は年とともに衰えてくる。若いときの魄力でやれば、そのうちに若者に敵わなくなる。ここで、魄力とは違う力を使うようにするのである。

合気道の場合は、それが呼吸力である。遠心力と求心力が同居する力で、引力のある力である。引力があるので、どんな相手にもくっついてしまい、相手を自分の分身としてしまって、自分の思い通りに相手を制御できる。

呼吸力と法則性が身につき、天地の呼吸と合して技を使うようになると、自分の力以外の天地の力が加わるようになるようである。この力は、相手が若者であろうとも、人の力が遠く及ばない力であるので、この力がつけば、若者に引けを取ることもないだろう。

しかし、それが少しばかりできたからといって、すべての人、若者に通用するという保証は残念ながらない。世の中には、異常な力持ちもいる。おごることなく、また、そうだからといって諦めるのでもなく、呼吸力をつけ、宇宙の法則を身につけながら上達していけば、80歳ぐらいでは若者に引けを取らない、ということができるようになるだろうと考える。