【第410回】 エネルギーのもと

年を取ってくると、だんだんエネルギーが減退していくものである。バッテリーの電気が減退していくように、使っていくうちに減っていき、やがては枯渇することになる。
バッテリーのエネルギーを枯渇させないためには、充電が必要である。充電することで、バッテリーの寿命を延ばせるのである。

人は生まれたときに授かったエネルギーを、放出しながら生きていくが、水や食物、睡眠などで補充している。誰もがやっていることであるが、これで肉体を成長、保持させるエネルギーは確保できるだろう。だが、精神的なエネルギーの確保は難しいものである。精神的なエネルギーの確保の困難さから、若者や老人の閉じこもりや、毎日100件にも及ぶ人身事故などが起こるのではないかと考える。人は精神的なエネルギーの補充、確保も必要としているのである。

一般的に、人は大勢いるところに集まる傾向がある。つまり、人はひとりぼっちではいられないのである。それは歴史が示しているわけだが、その理由は、時代や地域などによって違う。かつての理由は、敵からの防衛のためとか、共同作業や分業など生産性のためなどであった。しかし、特に現代社会においては、大事な理由がひとつあると考える。

それは、そういう場所では、人からエネルギーを貰うことができる、ということである。ひとりでいたり、何かをやるよりも、大勢の人がいるところでは、大きいエネルギーが入ってくるし、出力もできるのである。

例えば、勉強はひとりでするよりも、学校や図書館の方が能率が上がる。仕事も自宅でひとりでやるよりは、会社で大勢の中にいる方がやる気が出るだろう。これは、人はエネルギーをもっており、多くの人が集まると、大きなエネルギーになるということである。

では、このエネルギーとは何か、ということである。化学や栄養学、自動車などなどによる解釈はさておいて、ここでは合気道的な解釈をしてみる。

そのエネルギーとは、人がそれぞれに一生懸命に生きていることを感じることにあるのだろう。人は、地上楽園、宇宙天国建設のために、生成化育しているのであり、それを意識・無意識で感じて、自分もがんばろうと思うのではないか、と考える。

だから、元気がなくなったり、寂しくなったら、人が集まるところに行ってみるとよい。みんな世の中をよくするためにがんばっていることが分かって、自分もがんばろうと思うことだろう。そこに愛が生まれ、寂しさなど消えるはずである。

合気道の道場などに行くことで、エネルギーがたくさん入って、元気凛凛、明日もがんばるぞ、となるのも同じである。