【第394回】 まだまだ分っていないことが分る

若いころは怖いもの知らずで、知らないものはない、できない事はない、と思っていた。また、そう思おうとしていたようだ。他人の知らないことを知っていたり、他人ができない事ができたりすると、ますますそのように思ったものだ。

しかし、年を取ってくると、世の中のことや自分のことなど、ほとんど何も分っていないことが分るようになる。合気道でも、然りである。若いころは、合気道をすべて分ったような稽古をしていたように思うが、今思い返すと、もちろん何も分ってはいなかった。

年を取ってきて、まだまだ何も分っていない事が分ったのはどうしてか、と考えてみると、若い時の相対的な生き方・稽古の仕方から、年を取って絶対的なものに変わってきたからだと思う。つまり、若い内は、他人や社会と自分を対比して生きているので、他者より優れているよう、劣らないように、相対的に生きたり、稽古していたのである。それが、年を取ると共に、自分との絶対的なものとなるようである。時として負けることがあるが、他者との戦いに勝つことはそれほど難しくないだろう。しかし、自分に勝つことは難しいものである。

年を取ることで、他との比較や戦いではなく、自分本位、自分との闘いになってくるのである。それによって、自分が自分に負けないよう、自分を昇華させるために、欠けた部分を埋め、得意な部分を向上させよう、ということになる。それは、他人には意味が無いかもしれないし、金にも得にもならないことだが、自分にとっては必要であるし、また、やりたいからやることである。

宇宙に存在が確認されている物質は5%だけで、残りの95%はまだ確認されていないという。多くの優秀な世界中の科学者が寄ってたかっても、このような結果なのである。自分の知っていることなど、1%にも満たないはずである。

まだまだ分っていないことが分ったことは、幸せである。なぜならば、あと99%知ることがあるということだし、それを知る楽しみが残っているからである。これが、高齢者の楽しみになるはずである。

人としてすべてのことを分ることは不可能だし、特に、高齢者は時間や体力に制限があるので、自分のやりたい分野を主軸にし、それに関連することを広げていけばいいのではないかと考える。私の場合は合気道が主軸になるから、合気道を知っていきながら、合気道に関係することも広げ、掘り下げていくわけである。

合気道だけでも、知らなければならないことが無限にあるだろう。合気道の思想、哲学、歴史、技、技法はもちろんのこと、宇宙、神、魂、魄、霊、愛、気、古事記、また、螺旋、十字、天之浮橋、天地の呼吸、陰陽などなど、きりが無い。

さらに、合気道の思想、哲学、歴史を知ろうとすれば、他の分野も研究しなければならないだろうし、技や技法でも、他の武道や柔術などの研究も必要になる。その他の事でも、宗教書や科学の文献などまで調べなければならなくなるだろう。

技の稽古でもそうであるが、まずはできない、分らない、ということから始めなければならない。できないから、どうすればできるようになるのか、どこが悪いのか、を知ろうとするのである。

まずは、分らないということを、分ることである。そこから、いろいろと分るようになるだろう。