【第391回】 愛と感謝

最近の世の中は騒がしく、殺伐になってきているようで、残念である。時代が進むとよい面も増えるが、悪い面もどんどん出てくるようだ。

合気道は、地上楽園建設のお手伝いをするという使命をもっているわけだから、今の世の中のお役に立ちたいものである。開祖もそれをお望みのはずだし、このような世の中になってしまって何もしなければ、悲しまれることだろう。

世の中のお役に立つためには、まず、己のことからはじめなければならないだろう。己のこともできなければ、他人のため、世の中のため、などとても無理である。

我々は合気道を修行しているわけだから、合気道の教えでやっていかなければならない。合気道の教えでは、人には他人というのは居らず、地域、民族関係なく、みんな家族である。これは科学であり、事実である。万有万民や、また動植物も、138億年前のビッグバンから派生した宇宙家族なのである。

人も、138億年とはいわないまでも、数百万年までの先祖をたどっていけば、みんなどこかでつながり、家族になるはずである。まず合気道家は、この合気道の教えを自覚しなければならないだろう。

万有万民、万有万物が宇宙家族であると自覚して、その目で人を見ると、自分ともつながっている家族として見るから、愛が生まれる。これが、開祖がいわれている宇宙の心であり、「上下四方、古今東西、宇宙のすみずみまでに及ぶ偉大なる愛」である。開祖は、「世界を和合させ、人類を一元の下に一家たらしめる道である。神の『愛』の大精神、宇宙和合の御働きの分身・分業として、ご奉公する道である。」といわれているのである。

合気道は、宇宙の心である「愛」を学んでいるともいえるが、「愛」をあまり難しく考えることはないと思う。合気道の稽古で学んだ「愛」とは、相手の立場で考え、やってあげることだと思う。相手はこうして欲しいようだから、こうしてあげようとか、こうして欲しくはないだろうから、それはやめよう、ということではないだろうか。稽古で学んだこの「愛」の考えは、日常生活でも、地域や時間を超越して有効であろう。

みんながこの「愛」で生きていくようになれば、気持ちよく生きていける世の中になるだろう。「愛」を持って世の中を見ていると、顔は和らぐし、しかめ面をしている顔の人を気の毒に思ったり、元気に遊んでいる幼児が楽しそうだと眺めたり、駅の階段を駆け上がる人を見ると何があるのか知らないが上手くいくといいね、と思ったりするようになる。

みんなが「愛」を持つようになれば、争いもなくなるし、戦争もなくなるはずだ。家族・兄弟での殺し合いなど、誰も望まないだろう。

愛はまず与えなければならない、と開祖もいわれているから、己から与えるものである。愛は待つものではない、ということであろう。

そして、愛を受けたら感謝することである。どんな小さな愛に対しても「ありがとう」といったり、心で感謝することである。とりわけ人がくれた愛に対して感謝することだ。神に感謝する以前に、人に感謝すべきである。

まず、神に感謝するというのは、問題があるかもしれない。感謝する神様が違うと、どうしても自分が感謝する神様が絶対で、他の神様は駄目ということになるからである。それが、今の争いになっているのではないか、ということも考えられる。

まず人に感謝し、人がお互いに感謝し合うようになると、愛が根幹にあることになり、争いのないよい社会、地球ができるはずである。愛と感謝はやろうと思えば、誰でもいつでもできるようになるはずである。

これまではまだ物質文明であり、物や力の時で、合気道的には魄の時代である。だが、そろそろこの魄の上に精神文明、心の魂が来るよう、魂魄が入れかわらなければならないだろう。

もちろん、そのためには、合気道の稽古も魄から魂の稽古に変わらなければならない。それができれば、周りの人々に伝えることができるようになるはずだ。

理想に向かって人が変わるには、三世代かかることだろう。江戸美人は三代かかるといわれているが、その通りである。しかし、宇宙は宇宙楽園、地球も地球楽園に向かって進んでいる。どこかで必ず魂魄の転換があるはずである。時間はかかるだろうし、理想の社会になるという保証はないが、われわれは合気道で、そろそろ楽園建設のためのお手伝いに立ちあがらなければならないだろう。