【第388回】 年を取りたい

合気道の教えにあるように、すべての物事には両面がある。表と裏、陰と陽等などであるが、また、良し悪しという両面もある。

若いころは、年を取りたくないと思っていた。できるだけ元気溌剌と若いのがよいと思っていた。50,60歳頃までは、年には見えませんね、などといわれるとうれしがったりしたものだが、70歳を過ぎると、若いなどと言ってもらってもうれしくないし、逆に、俺はまだそんなに幼稚ということか、と反省したりする。

年を取るのは悪いことである、というのが一般的な考えだろう。とりわけ女性はそのようだ。確かに、年を取るに従って、悪い面が目立ってくる。体にガタがきたり、動作が鈍くなったり、体力がなくなったり、シワがよる、等などである。

しかし、良い面もある。良い面とは、年を取らなければ分らないこと、若い時代には分らない、できないことが分り、できることである。

人は若い時には社会の一員として生きているので、他人に左右されながら生きざるを得ない。また、物質文明に生きているので、モノ・金のために他との競争に打ち勝たなければならないから、大変である。

定年を迎えると、仕事の社会、物質文明の社会から解放されて、自由に生きることができるようになる。時間もできるし、気持ち・精神にも余裕ができてくる。余裕ができると、自分を見つめるようになるし、自分を昇華していきたい、と考えるようになるようだ。

年を取ってくると、自分の実力と無能さも分ってくる。若いころは、自分には不可能などということは無縁であり、やりたいことはなんでもできる、と思っていた。

これまでとは違って、他人より自分に興味を持つようになり、周りにあるモノよりも、自然や宇宙に興味を持つようになってくる。そして、周りのモノと自分を結びつけて自分を飾るより、自分と自然や宇宙と結びつけ、自分と自然や宇宙との関係を楽しむようになる。

それに、世の中が変わるよりも、自分が変わるのが楽しくなる。自分が設定したゴールに近づくのが最大の楽しみになり、生きる意味となってくる。

年を取ってくると、自分が分ってくる。何が大切なのかも分ってくる。地球上には他人など一人もなく、みんな家族である、ということも分ってくる。人だけではなく、生きとし生けるもの、否、万有万物がすべて家族である。そう思えるようになり、周りのモノをそう見ると、「愛」ということが分ってくる。物質文明での若いころは、他人は敵であり競争相手であったのと大違いである。

本を読んだり、テレビで話を聞いても、80歳を超える人の話に感銘を受けることが多い。長く生き、多くの体験をし、問題に直面して、自分を鍛えた成果だろう。だから、年を取ったといえるのは、80歳からであると思っている。

合気道を半世紀やっているが、まだまだ満足できるものではない。80歳頃までには、一人前になりたいものだと思っている。年を取っていくに従って、少しでもましになり、80歳でなんとか満足できる合気を身につけたいものである。

年を取るのが楽しみである。早く年を取りたい。