【第384回】 少しでも長く、少しでも上達

習いごとは、少しでも上達しようと努力すれば、長時間かかるものである。
習い覚えることには、完全ということはないだろうから、体の続く限り習い続けることになる。

合気道も、習いごとである。初めの内は、先生や指導者から習い、その後は、宇宙から習うのである。合気道も習いごとであるからには、習ったら上達しなければならない。上達しないとすれば、教え方がまずいか、習い方がまずいか、努力が足りないか、または、習う期間が短いかなど、原因があるだろう。

合気道の場合も、十分上達しないのは、習っている期間、つまり稽古日数が十分ではない、ということがいえそうだ。確かに、合気道は5年や10年で身につくものではない。少なくとも、自分がそこそこ上達したと思えるのに、30年、50年とかかるであろう。

合気道の稽古では、二つのことが大事になると考える。
一つは、少しづつでも上達していくこと。
もう一つは、長く稽古を続けること。
この片方でも欠ければ、満足できるような上達はないだろう。

この二つさえできれば、年を取れば取るほど上達していくし、そうならなければならない。それには、去年よりも今年、今年よりも来年と、うまくなっていくことである。もし、去年と今年に変わりがないようであれば、来年も変わらないだろうし、5年後、10年後でも変わらない、つまり、上達はないことになろう。

合気道で、上達するとはどういうことかというと、以前にも書いたように、宇宙の法則の技を見つけ、身につけることと、呼吸力を身につけることになるだろう。宇宙の法則を一つでも多く見つけ、身につけ、技で表わすことができれば、上達したことになる。また、呼吸力が増大するのも、上達ということになるだろう。

若い内は、馬力、腕力、体力で稽古できるが、年を取ってくるとそれが段々できなくなってくるものだ。それでも無理に若いころと同じようにやっていくと、体を壊したり、壁にぶつかったり、稽古に限界を感じるようになる。特に、若いころに強くて、上手といわれるような者ほど、その記憶が消えないようで、無理をするようである。

年を取ってきたら、無理はいけない。無理なく上達するように、原点に戻って再出発するのがよい。一時は弱くなったように思っても、培かった稽古がその内に倍になって、生きてくるはずである。焦らずに、自分のペースで一歩一歩進むことである。相対的な稽古から、絶対的な稽古への転換である。

そのために大事なことは、宇宙の法則の発見である。十字、陰陽、日月の気、天地の呼吸、など等である。新しい法則を見つけて、それを技で表わすことができれば、次の発見が楽しみになるだろう。法則が無限にあるとわかれば、少しでも長く稽古をしなければならないと考えるはずである。

稽古を長く続けるための条件にはいろいろあるが、自分で責任を持つべきことは、健康である。健康で、けがをしない稽古と生活をすることである。他にも家庭事情など条件があるだろうが、それは諦めがつくものであったり、場合によっては克服も可能である。しかし、健康だけはどうにもならない。

健康は、生活の上で注意していかなければならない。年を取ると、衣食住には若いころ以上に注意しなければならないだろう。特に、食べることと睡眠は大事である。

このためには、宇宙の法則に従ってつくられた体を、宇宙の法則に逆らわないように使っていかなければならない。また、呼吸も、法則に従って使っていかなければならない。そうしないと、宇宙(自然)との一体化ができず、体を痛めることにもなりかねない。

少しでも上達するため、少しでも長い期間稽古を続けるためには、宇宙の条理に則った技を追究し、その法則に則った体つかいをしていくことだと考える。