【第383回】 心を見る

年を取るということには、悪いこともあるようだが、よいこともある。悪い方は体験する人が多いだろうから、説明は必要ないだろう。興味あるのは、よい方である。

これにもいろいろあるが、ここでは、年を取ってはじめてわかるという例を挙げてみよう。それは、若いころに見えなかったものが、見えるようになってくることである。もちろん、若くてわかってしまうような人もいるだろうが、それは例外だろう。

現代は物質文明、物質科学の世界である。それはモノ、見えるモノで、物事を評価する世界である。それ故、モノを得ようとしたり、見栄えを良くしようと考える。そうすると、少しでも多くモノを得ようとし、他人よりよくなろうとか、他人よりモノを多く獲得しようとして、そのために争いが起こることになる。

開祖は、この物質科学の世界のままでは争いが絶えないので、そろそろ精神科学の世界に変えていかなければならない、といわれている。合気道では、モノ(魄)に頼らず、心(魂)の力を養い、世のために尽くし、生成化育のお手伝いをしていかなければならない、というのである。つまり、見えるモノに頼らずに、見えないものでやらなければならない、ということだろう。

もちろん、合気道は武道であるから、ある程度の魄力は必要である。ある程度の魄力がついてきたら、今度はその魄力の上に、魂力(精神力、心の力)を養成していかなければならない。

旧約聖書に「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(サムエル記上) 16章7節)とある。主(神)は心によって人を見るのであって、容姿、背の高さ、年齢、また、家柄、財産、学歴、職種等などで人は見ない。つまり、主(神)は、人を見る場合、その人の表面を見るのではなく、その人の心を見る、ということである。

人が神と同じように心を見ることができて、実際に心で見るようになると、物質科学の世界は精神科学の世界に変わり、争いのない、よい世界に一歩近づくはずである。是非、そうありたいものである。

では、どうすれば心でモノが見えるようになってくるのかを考えると、まずは、次のようなことを悟ることであると考える。

これを悟ると、会う人、見る人誰もが、宇宙楽園建設に携わっている兄弟同胞に見え、地球家族であると思えるようになってくるだろう。人だけではなく、犬や猫、スズメやカラス、昆虫、蟻などの動物も、同胞・家族と思うようになる。木や草花も、同じである。さらに、岩石や小石、砂なども、そう思えるようになってくるだろう。

そこには、愛が生まれてくる。この同胞・家族に何かをしてあげたいとか、あるいは、踏みつぶしたり、殺したり、壊したりしないように、注意するようになるはずである。

他人、動物、植物、鉱物など、表面だけ見ると、万有万物の共通点、つまり宇宙生成化育の使命を担った同胞・家族ということが見えず、自分とは関係ないもの、自分の敵やライバルと見てしまうことになる。表面だけからは、愛も生まれてこないだろう。

心で人を見るようになると、人の心が見えてくる。どんなに着飾ろうが、化粧をしようが、こころは隠せない。良いところも悪いところも、見えてくるものである。

犬や猫、木や草花も、心で見るようにすれば、彼等の喜びや悲しみが分ってくるだろう。彼らの心が分かるようになれば、彼らとのコミュニケーションがとれるようになるだろう。猛暑が続いた後に、しおれかかった草花に雨が降ってくると、喜んでいる心がわかるので、一緒に喜んでやることもできる。雨を待っているときには、もう少しがんばれよ、と励ましてやりたくなる。

宇宙楽園建設のためには、よりよい世界をつくっていかなければならない。そろそろ物質文明、物質重視、見えるモノ重視の世界から、精神文明、精神(心)重視、見えないモノ重視の世界へと、変わっていかなければならないだろう。

開祖は「精神が表に立たねばこの世はだめである。物質の花がいまや開いているが、その上に魂の花、魂の実を結べばもっとよい世界が生まれる」(「合気真髄」)といわれているのである。