【第375回】 人生の後半

合気道のお陰で、いろいろなことが分ってきた。おそらく合気道をやっていなければ、大事なこと、知りたかったこと等、永遠に知らずじまいだっただろう。例えば、どうしてもあちらへ行く前に知りたいこと、つまり、自分は何者なのか、どこから来て、どこに行くのか、等である。

合気道の教えのお陰で、自分で納得する答えを見つけたと考えるが、今度はまた違った難題が湧きあがってきているようである。だから、まだまだあちらへは行けそうにない。

若いときも上述のような課題を考えていたのだが、分らないままに頭の片隅に放っておいた。年を取ってくれば、いずれその解答が出るだろうと、なんとなく信じていたようである。

それに、若い時は、考えるより体を動かす方が忙しかった。体はいくら動かしても疲れを知らなかったが、頭はすぐに疲れるのか、拒否反応を起こしていた。それで、それ以上深く考えなかったのかもしれない。

若い時と高齢になった今の自分を比べてみると、肉体的な違いだけでなく、考え方、心体のエネルギーをぶつける目標などが、根本的に違ってきているように思う。人の人生は、若い頃の前半と年を取っての後半は違うし、違わなければならないようだ。

心理学者の河合隼雄によれば、深層心理学者であるユングは「人生の前半はその人にふさわしいペルソナを形成するため、社会的地位や財産などをつくるために、エネルギーが消費される。しかし、人生の後半は、むしろ、内面への旅が要請される。言うなれば、生きることだけでなく、死ぬことも含めた人生の全体的な意味を見出さなければならない」(『無意識の構造』中公新書 河合隼雄)と言っており、人生の後半の重要性を強調している、という。

確かに、人生の前半である若い時には、日常生活においても、合気道の稽古においても、外面的物質的で見えるモノを、意識と意志で追い求めていたようである。

高齢になり、人生の後半を感じるようになると、見えるモノより見えないモノ、例えば、こころ、気持ちなどに魅了されるようになってくる。

また、自分自身もモノで飾ろうとか箔をつけようなどと思わなくなるし、他人をモノや外面で判断しないようになってくるようだ。他人との比較も興味が無くなってきた。興味があるのは、自分が変わることである。

現在、ますます興味が増し、エネルギーを使っているのは、内面への旅である。これは、合気道上達の秘訣の第375回「個性化に向かう」にも書いたが、人類の共通使命でもある分身分業で、宇宙から与えられている使命のための個性化、つまり自己実現へと進む無意識の世界、すなわち内面への旅である。

このためには、人生後半の合気道の修行も、人生の前半とは180度変えていかなければならないようである。