【第371回】 永遠のもの

人は100年足らずで生きて死に、を繰り返しつつ、数百万年を経ている。これは、人が変えることができない絶対的な法則、宇宙の法則ということになるだろう。けれど、多少の例外はあるとしても、人は死にたくない、もっと長生きしたい、と願っている。

人は必ず死ぬとわかっているが、永遠に生きたいと思う矛盾を抱えている。しかし、多くの人がこの矛盾を克服し、永遠に生きていることを確認できるようである。

確かに、人は100歳も経たないうちに死んでいなくなる。かつて、すべては相対であり、絶対というものがあるとすれば、それは「死」だけだといわれたこともあったようだ。だが、今では「死」さえも絶対ではなくなった。例えば、その人が死んでも、その人に接した人、影響を受けた人の中に、まだその人は生きているわけだから、その人が全部なくなったことにはならない、ということだろう。

親子や知人、友人だけでなく、全然会ったことがなくても、死んだ後でも生きている人がいる。例えば、画家のルノアール、ピカソ、音楽家のモーツアルト、ベートーベンなどなど、いろいろな時代や分野で、すでにお墓に入った人たちが現在でも生きているし、そして、永遠に生きているのである。

19世紀末から20世紀初頭に活躍したアール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナーのアルフォンス・ミュシャも「現在は過去と未来につながっている。いいもの(絵、音楽)は永遠のものである」といっている。

ルノアールやピカソの絵は、描いた時点で未来とつながっており、現在はその絵を描いた過去と、そして未来につながっており、従って永遠の絵ということになる。ルノアールやピカソは、その絵が永遠の絵になることによって、永遠の人となり、永遠に生きることになる。

音楽家のモーツアルト、ベートーベンなども全く同じで、彼らの音楽が永遠のものになることによって、永遠に生きることになる。

合気道も、人類の遺産となるべく、永遠のものである。そして、合気道開祖の植芝盛平翁は永遠に生きることになる。

永遠に生きたいなら、過去と未来につながる永遠のものを後進に残すしかないだろう。