【第368回】 文明の進歩と人体の退化

人類は宇宙楽園建設のために、分身分業で宇宙の生成化育に携わっているはずだが、少しでも楽をしようとする怠惰な性(さが)を基本的に有している、というのはちょっと不可解でもある。

文明は、人が少しでも楽できるように進んでいるようだ。楽ができれば、それに応じて評価される、というのが文明である。徒歩でとぼとぼと歩いていたのを、自転車、自動車、汽車、電車、新幹線、飛行機などへと変わっていくのが、進歩とされる。また、建築や土木での力仕事はクレーンやブルドーザーなどの重機に変わり、今や、力仕事人はかつてほどの力も体力も必要なくなった。通信網の発達で、かつての飛脚のような健脚も必要がなくなった。

昔は食べるための手間に一日の時間の大半を使ったものだが、近くの店でお金と交換で簡単に食べ物を入手できるようになった。着るものも、寝ることも、お金さえあれば快適に享受できるのである。

文明社会には、お金がいる。だから、農作物を栽培したり、野生の動物を捕まえたり、衣類や住居をつくったり、遠い道を歩く代わりに、お金を稼ぐことになる。だが、このお金を稼ぐ文明には、一つの問題である。

人体は、文明のようには進化していない。というより、文明の進化に反比例して退化している、と言えるのではないだろうか。自分の子供時代と現代人を比べてみても、人体機能の退化は歴然である。

人体の退化の原因は、文明の進歩で楽ができるということと、文明自体を過大評価するあまりその害が及んでいることにあるのではないだろうか。

前者は、例えば以前は歩いていたのを車や電車に乗ることで足腰が弱くなる、簡単な計算を頭でやらず計算機を使って計算能力を退化させる、筆やペンで書いていた手紙をキーを叩いてメールで送ったりすることで文字を書くことや文章力を衰えさせる、等がある。

後者は、文明が進歩したことにより、人はその文明の中で生きることを強いられるので、自由に生きることが難しくなり、その文明の規範と基準で生きることになるからである。例えば、今の時間基準とは乗り物を使っての時間であり、昔のように歩く時間が基準ではない。同じように、距離もそうである。また、ハイヒールなどという踵の高い靴を無理して履いて足を痛めたりすることもあげられる。

最近、気になるのは、文明を享受している若者の足腰が以前に比べて弱ってきていることである。歩いたり走ったりする姿を見ても、足首が歪んでいたり、腰が歪んだ者もよく見かけるし、本人は気がついていないだろうが、そのまま年を重ねると歩くのも難しくなるような体つきの若者さえ見ることがある。この傾向は減ることはないだろうから、ますます悪くなると思える。

合気道は、文明の進化と人体の退化のバランスを取るための最良のものである、と考える。合気道は、人体の本来の機能を追究するものであるから、人体の本来の姿にもどれるはずである。

そのためにも、合気道をもっと普及しなければならないことになるだろう。また、高齢者の合気道家の役割も大きいはずである。合気道をやっている高齢者がシャンとした姿をみせれば、若者にもこのようなメッセージが届きやすいであろうからである。