【第367回】 時間を超越して

人には、過去と現在と未来がある。若者は主に現在と未来に重点をおいて生きているが、年を取ってくると、重点が現在と過去へと変わってくるようだ。

若者には、先人が苦心してつくり上げてくれたものの有難さはわかりにくいだろうし、関心もないようである。高齢者はあまり先に望みを持たないので、健康で長生きであればよいとばかり今に生きたり、または、昔はよかった等とふりかえるなどして、主に現在と過去に生きているといえるだろう。合気道の稽古でも、若者と高齢者の考え方の違いは見られるようだ。

習い事はみな同じであろうが、合気道の稽古でも、現在だけがんばっても駄目だろう。過去と未来の稽古も、一生懸命にやらなければならない。

過去を知って、過去を現在に結びつけて活かし、また、現在を未来に結びつけて、稽古に励まなければならない。先人、開祖をはじめ、多くの名人や達人、諸先輩がすばらしいものを残してくれているのだから、その技、思想、知恵などを学び、己の技と業に取り入れていくのである。

これを自分一人で見つけ、身につけて行くとしたら、100年や200年では足りないというより、とうてい不可能であろう。先人の残してくれた知恵や遺産に感謝しながら、業と技に取り入れて行かなければならない。

未来の稽古とは、自分や人類、そして宇宙の完成された姿での技や思想をつくり上げることだろう。宇宙は宇宙天国建設に向かって生成化育を続けているし、万有万物は分身分業でそのお手伝いをしている、と教わっている。

自己完成とは自己の使命を果たすことである。自己の使命の究極の目標は、至仁、至愛、至善、至美等などであるから、その最高のものを理想としてイメージすることである。例えば、最高の美の技と業をイメージして、そのイメージに合致するように、技の練磨をするのである。これも、未来と現在をつなぐことになるだろう。

現在が変われば未来は変わるし、未来が変われば現在も変わるはずである。このようにも、未来と現在はつながっているのである。

稽古は現在という時間の場でやっているわけだが、この現在は過去と未来につながっていて、現在だけが独立しているのではない。

実際には、人は今の現在にしか生きていけないわけだが、厳密にいえば「今」はない。どの瞬間も、今は今でなく未来になり、過去になる。時間は、この連続である。

だから、時間には、過去も現在も未来もないということになる。開祖は、合気道には時間がないと、次のようにいわれている。「植芝の合気道には時間もない空間もない、宇宙そのままがあるだけなのです。これを勝速日(かつはやひ)といいます」(「武産合気」)。

また、「植芝の武産合気は、この木刀一振りにも宇宙の精妙を悉く吸集するのです。この一剣に過去も現在も未来もすべて吸収されてしまうのです。宇宙も吸収されているのです。時間空間がないのです。億万劫の昔より発生した生命が、この一剣に生き生きと生きているのです。古代に生きていた私も生きていれば、現在の私もいる。永遠の生命が脈々と躍動しているのです」(「武産合気」)とある。

それゆえ、合気道においては、時間を超越した稽古をするようにしなければならないことになる。現在の自分だけではなく、古代に生きていた自分になり、宇宙完成にある自分になって、稽古をするのである。

技と業を身につける、正確に言えば、宇宙条理に則った技と業に身を入れていけば、道場の外の日常生活の中でも、時間を超越した生き方ができるようになるはずであるし、そうしたいものである。

恐竜の時代やビッグバンの自分、または、美女揃いの天女に溢れる100兆億年後の宇宙楽園にある自分と共に生きていければ、楽しいだろう。127億年の過去から、100兆億年の未来に、生きるのである。

現在、厳しい環境にあったとしても、未来の自分につながり、あるいは過去とつながれば、そこから脱出できるかもしれない。現在だけを考えると、ますます落ち込んでしまうことになるから、自殺や人身事故などの原因にもなりかねないだろう。

まず、時間を超越する稽古をし、そして、時間を超越して生きることを未来の後進に伝えるのが、高齢合気道家の使命だろう。