【第359回】 自分の責任で

若いうちは、家庭や学校や社会や職場など自分の周りからものを学び、吸収しながら成長していく。人が社会と共同して生きていくためには、共通の知識や約束事が必要なので、それを学ぶ必要がある。しかし、あまりにも社会に重点を置いた学び方をすると、成績優秀で学校や会社の覚えはめでたいだろうが、人、つまり個人としては、何か不満が残るかも知れない。

教育というのは社会を維持発展させる面があるので、会社で学ぶということは、もちろん会社の存続と発展のためである。従って、よほど意識し、頑張らなければ、自分個人のため、そして、独創的なことを学ぶことは、難しいことになる。

自由に、そして、独創的に学び、創造するのは、仕事から離れて、自由と時間ができる高齢者になってからであろう。しかしながら、自由になったからといって、なんでも上手くいくものではない。多くの場合は、自由に押しつぶされてしまっているようで、せっかくの自由とチャンスがもったいないと思う。

この自由であるはずの高齢者の時期を、どう過ごせばうまくいくのだろうか。高齢者になって、稽古をどのように続ければよいのか、を考えてみたいと思う。

人は誰でも一生に一冊の本が書けるといわれるが、私も一冊書いた。『武道の知恵』という題で、ビジネスのために武道の知恵を活かしたらよいだろうという趣旨の本である。この本が出版されてすぐ、当時、本部道場で合気道の指導をされていた有川定輝師範に進呈した。毎週、師範の稽古のある水曜日は稽古に行き、稽古を終えた後よく食事をご一緒させて頂いていたので、その折りにお渡しした。こんなものを書いて、ときっとお叱りを受けるだろうと、覚悟していた。

しかし、1,2週間してお会いすると、私の本を読んだと言われた。当然、駄目だしが出ると覚悟した。だが、ありがたいことに、お叱りもお小言も頂かなかった。理由は、自分の言葉で書いたのはよい、さらに自分の考えで書いたのがよい、ということだった。内容や理論などは当然まだ未熟だっただろうが、それには触れられず、人の言葉や他人の考えではなく、自分の言葉で書いたのがよいといわれたのである。

もちろん多少批判もあった。一つは、使用された写真がよくないこと。そして、「大先生」「大先生」と、文章の中で言いすぎるということであった。そこで、大先生のことはともかく、写真については、今度この本の改訂版や別の本を出す時は、師範がお持ちの写真をお貸し下さいとお願いし、いいよという返事を頂いたのだが、今はそれが出来なくなってしまったのが残念である。

この有川師範の教えは、本当にありがたい。いわれた時は、お小言がないことにホッとして、先生が言わんとされていたことがよく分らなかった。だが、今になると、先生の言葉の意味が分るような気がする。それが先生の教えだったと、分るのである。

今や有川先生のように叱ってくれる先生も居られなくなると、なんでも好きに自分のやりたいようにやれるわけだが、逆にどうやってよいのか、なにを基準にしてやればいいのか、わからなくなるものだ。

有難いことに、私の場合はここから先へ進むには、先生の「自分の言葉」で「自分の責任」においてやれ、というのがその基準になったと思う。

これからの自分の稽古、論文は、自分の責任で、自分の考えと言葉でやっていくしかない。有川先生に自分の技や論文をお見せしても、先生にお叱りを受けないように、緊張し、自分を戒めながらやっていくつもりである。