【第348回】 永遠的なものに喜怒哀楽をもとめる

合気道開祖の植芝盛平翁は、合気道は宇宙生成化成のお手伝いをする人を育成するものであり、開祖も宇宙楽園創造のためにご自身で修行され、後進を育成された。

しかしながら、宇宙生成化育のために活動するのは、開祖をはじめ合気道家ばかりではないだろう。そんなことを考えていたときに、NHKで紹介されたある日本人の洋画家に興味をもった。

画家の名前は、松本俊介(まつもとしゅんすけ)(1912−1948)。厳しい戦争時代を生きた画家である。中学時代に耳が聞こえなくなり、画家を志す。耳が聞こえなかったので、兵隊にならずに絵を描いていたが、他の画家は国威発揚のための絵を描いたのに、そのような絵を断固として描かなかった。

松本画伯は画業のかたわら、多くの文章を書いている。中でも著名なものは、美術雑誌『みづゑ』1941年(昭和16年)4月号に書いた論文「生きてゐる画家」であると言う。この文章は、画家にも国威発揚、戦意高揚のための芸術制作が求められていた時代のなかで、「芸術の自立」を主張したものとして知られているのである。

彼は「生きている画家」の中で言っている。「私達若い画家が実に困難な生活環境の中にゐてなほ制作を中止しないといふ事は、それが一歩一歩人間としての生成を意味してゐるからである。例へ私が何事も完成しなかったとしても正しい系譜の筋として生きていたならば、やがて誰かがこの意志を成就せしめるであらう」。

彼はまた、宇宙の時間に比べれば、人間の時間など一瞬であるから、その時間を大切にしなければならない、とも言っている。戦争だからといって、戦争の絵を描いて、戦争に喜怒哀楽を求めるのではなく、永遠的な物に喜怒哀楽を求めるべきであるという。
これはまさしく宇宙規模と宇宙時間で物を見、考えていたことになるだろう。

今の時代も、ある意味で当時の戦争の時代と大して変っていないような気がする。それは、人が喜怒哀楽をもとめるものが、永遠的なものではないということである。

合気道の稽古においても、強さやパワーに喜怒哀楽をもとめるのではなく、永遠的なものにそれを求めなければならないだろう。できなくても仕方がない。松本画伯も言うように、後進、後進の後進・・・・の誰かがその意志を成就し、宇宙生成化育のお役に立ってくれるはずである。