【第346回】 みんな頑張っている

開祖は「世界は一軒の家、けっして他人というのは一人もいない」といわれている。だが、なかなかそうは思えないのが現実であろう。

この競争社会にあって、他人は競争相手であって、自分と比べるための対象物となってしまっている。その結果、他人より少しでも多く財や金を持ち、地位や力を持ちたい、と思いながら生きている人が多いはずである。

しかしながら、これが理想の状態であるとか、継続すべきだと思う人はないだろう。なぜならば、このような競争社会は人類の理想の社会ではないと思うからだ。

人類は理想の社会、地上楽園を目指していると思うが、そのためには一時、このような競争社会も必要なのだろう。競争社会によって悪い事もたくさん起こっているが、人類の生活は豊かになり、生活レベルや技術レベルは上がったし、思考や知識も広がり深まった。スポーツなどの競争によって、人間の肉体的限界なども上がった。

だが、そろそろ開祖がいわれているように、他人と競争をしなくてもよい社会にしていかなければならないのではないかと思う。とりわけ合気道家には、その使命があると考える。しかし、どうすればこの厳しい競争社会で、他人も家族であると思うようになれるだろうか。

テレビや映画で、何かを一生懸命やっている人、頑張っている人を見ると、感動し、ときには涙することもある。テレビや映画で見るのは、ある人や一部の人々に焦点を当てたドキュメンタリーであるが、現実の生活では、誰もがそのようなドラマを、それも主役で演じているのである。朝から晩まで、一生懸命に頑張っているのである。

街に出て、誰でもみんな頑張っているのだという目で他人を見ると、競争相手とか敵とかいう感じは薄らいでいき、親しく身近に感じるようになるだろう。特に、幼児や子供が一生懸命歩いたり遊んだりしているのは、彼らなりに一心にやっていることが伝わってきて、頑張れよと心で応援してしまう。また、勤め帰りの電車に駆け込み、居眠りをしている人たちを見ても、毎日、頑張っていて大変なのだな、頑張れよ、と心で応援する気になるだろう。

偉ぶったり、つっぱっているのも、彼らなりに頑張っているのだろうと思って見たり、それで頑張っていることを示したいのだなと思って見ると、それまでの嫌悪感、恐怖感などより、頑張りなさいと応援したくなる。そうすると、だれでも同じ仲間、家族と思えるようになるものだ。

地球には、多くの人間が生きている。誰ひとりとして同じ人はいない。これも何かの意志だろう。みんな違うから、地上楽園がつくられるのだろう。違う人たちが頑張るというのは地上楽園づくりのため、と考えてみてはどうだろうか。人は大人も子供も、老若男女、誰もが、地上楽園づくりのために頑張って生きていると考えれば、人は「地球の家族」ということになるだろうし、他人等もいなくなるわけである。

しかも、頑張っているのは、人間だけではない。犬や猫、鳩やカラス、それに蟻などの虫たちも、地球楽園づくりのために頑張っていると思える。彼らも「地球の兄弟」であり、家族ということになるだろう。

そろそろ合気道の稽古においても、稽古相手や他の稽古人を他人と見ないで、まずは「合気道の家族」と見、そして稽古すべきだろう。いろいろな稽古人がいて、稽古法も違う。上手もいれば、下手もいる。しかし、みんなそれなりに一生懸命に頑張っているのである。合気道の稽古によって、地球楽園をつくるお手伝いをしている一家の家族、ということになる。

そして、それができれば、さらに合気道を超えて、道場の外の他人を家族と見ることができるようになるだろう。これが、合気道家が開祖から課せられている使命ということになろう。合気道家族が、人はみな家族で、世界は一軒の家であることを、世界にしらしめるのである。

開祖がいわれている「美わしき、この天地の御姿は、主の造りし一家なりけり」のために、頑張っていきたいものである。