【第319回】 出来あがるな

ひとつの物事を長年やっていると、うまくできるようになるものだ。先にうまくなる人がいたり、もっとうまい人がいたりすると、自分はまだまだだと思って、もっと頑張らなければならないと思うはずだ。

だが、自分がまだまだだと教えてくれるような人がいなくなると、自分はうまくなった、大したものだと思うようになる。これが、出来あがってしまうということだろう。

出来あがってしまう人は、見苦しい。武道の世界だけではなく、スポーツや芸能や芸術の世界でも同じである。どんな名人・達人でも、出来あがったら終わりである。

人はどんな天才でも能力があっても、やっている物事にこれでいいということはない。やることが一つ終わったと思っても、次が待機していたり、次から次へと出てきて、終わりがないものだ。合気道の修行にも、これで終わりということはないはずである。

それは、開祖が教えてくださっていることでもある。開祖は最晩年まで修行を続けておられたが、まだまだ修行じゃと言われていた。当然われわれ凡人には、さらにやることがあるはずだ。出来あがってなどいられない。

出来あがってしまうのは、道に行き詰って、先が見えなくなってしまうからだろう。道、合気の道にのらないと、わき道に入りこんでしまい、最終的な目標や、やるべきことを見失うのである。

合気道の修行を行き詰らず、出来あがらないようにするためには、合気の道にのり、そしてその道を精進しなければならないことになる。

出来あがって何が悪いんだ、と思う人がいるかも知れないが、出来あがった人を見てみるとよい。そういう人を見ると、いい気持はしないものだ。本人だけは出来あがったつもりでいるのだが、他人に認められていないから、滑稽でもあり、気の毒なことでもある。

出来あがった人の周りには、人が寄り付かなくなるようだ。歌手や落語家などの芸人でも、出来あがったら客は寄り付かなくなるだろうし、それでは芸人生命もおわりになるだろう。

合気道を長年やっていて、高齢になってくると、上の者が段々少なくなり、後輩が増えてくる。よほど心して修行をしていかないと、出来あがる危険性がある。注意していきたいものである。