【第318回】 大乗式武道の合気道

武道、さらに武術の鍛錬の目的は、自分自身を鍛え上げることだろう。敵に不覚をとらないように、敵に勝つため、体を練り、術や技を身につけるのである。だから、大事な事柄は秘伝とか口伝とかいって、敵になり得る他者には知らせないようにしたのである。

合気道には、秘伝とか口伝などというものはない。指導者の中には経営上、秘伝とか口伝と口にする人もいるかもしれないが、少なくとも合気道創始者である植芝盛平翁は何も隠さずに示し、語られていたはずだ。それに開祖は、武道や武術ではそうやすやすと示さないような「極意」を、これは極意であるといって惜しげもなく公開されている。

仏教には、自分自身が救われるために修行する小乗仏教と、万人が仏になるように修行する大乗仏教がある。

一般の武術や武道は、他人よりも自分を鍛えなければならないから、小乗式武道ということになろう。合気道も、まずは相手にひけを取らないように自分自身を鍛えなければならにから、この段階では小乗式武道である。

しかし、合気道の素晴らしいところは、小乗式鍛錬は最初必要だが、この小乗式武道に留まっていてはいけないという教えであることである。

小乗式鍛錬をしたら、次は、漂える世を立直し、地上天国建設の完成にご奉公し、そして宇宙建国完成の経綸に奉仕しなければならないと教えているのである。

これを、開祖は「真の武道(合気道)とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和を守り、森羅万象を正しく生産し、護り育てることである、と私は悟った」といわれている。また、「合気は、いうなれば真人養成の道(世界を和と統一で結ぼうとする人)であるともいえる。」ともいわれている。

これは、個人を超越し、全人類、地球、そして宇宙を対象としている武道である。だから、いうならば合気道は「大乗式武道」といえるだろう。

入門して4,5年たった開祖晩年のころ、ある時、開祖がいわれた言葉が不可解で、これまでずっと気になっていた。だが、これで開祖がいわんとされていたことが分かったように思う。

いつものように我々が道場で稽古をしていると、大先生(開祖のこと。当時は大先生といっていた。因みに吉祥丸先生は若先生と呼ばれていた)が入ってこられて、ちょっとお話しされた後、内弟子だったか、古い稽古人だったか忘れたが、その人を呼び寄せて技を示そうとされた。その時、大先生は「少しでも力が入れば、合気道をやめる」と言われたのである。私たち稽古人はお互いに顔を見合わせ、どういうことなのかと確認し合ったり、合気道がなくなってしまうのかと心配し合ったことを覚えている。

それから、大先生が力を入れて技をつかわれるのかどうかを見つめた。諸手を取らせた開祖は呼吸法など二つ三つ技を示されたが、通常と変わりなく、力が入ったのかどうかは誰にも分からなかった。開祖はその演武の後、合気を止めるとも続けるともいわれないし、普段とお変わりなく道場を出られた。もちろん、合気道は今日まで続いている。

さて、大先生がいわれた「少しでも力が入れば、合気道をやめる」ということであるが、これは、力を込めることは小さな人間相手であることになって、小乗式であるから、まだ小乗式の合気道をやっていることになる。小乗式の合気道はやめて大乗式の合気道をやらなければならないという決意だったのかと考える。つまり、小乗式の合気道はやめるということであったのである。

事実、大先生は、その後ますます大乗式鍛錬をされ、合気道を大乗式武道に変えられていったことは誰もが認めるはずである。

合気道は小乗式武道でなければならないが、また大乗式武道でなければならない。これが他の武道や武術との最大の違いと言えるのではないだろうか。若いうちは小乗式練磨、年を取ってくれば大乗式合気道にならなければならないだろう。