【第313回】 高齢者のやるべきこと

人は生まれて百年足らずで死んでいくのを、何百万年と繰り返している。一人が何百万年、または永遠に生きていければよいものを、世代交代しながらきているということには、何かの意味があるはずである。合気道的にいえば、宇宙の意思ということになるのだろう。

人は生まれてからも、赤ん坊、幼児、子供、少年、青年、熟年、高齢者などと変化する。赤ん坊や幼児や子供は未来を期待され、社会が彼らに未来を託すことになるので、大事に扱われる。青年、熟年は労働によって社会に貢献するから社会にとっては大事である。

しかし、定年退職して、社会の労働活動から離脱した高齢者は、社会から年金や無料パスなどを受領するが、社会に対して与えるものがないことが、問題のようである。

高齢者は、それまでの労働の対価として、年金や無料パスなど貰うのが当然の権利と考えているが、その年金などの負担をする若者は納得できてないのが現状であろう。

高齢者が年金や無料パスが受け取れなくなるようなら、それは重大な社会問題になり、社会も国も崩壊していまうだろうから、それは続けなければならないだろうが、高齢者も、社会や若者に対して、彼らが納得して、できれば喜んで年金や無料パスの負担をしてくれるように、しなければならないだろう。

そのためには、高齢者にもやるべきことがあると考える。一つは、高齢者も引き続き社会に貢献し続けることである。新しい仕事でもよいし、ボランティアでもよい。生産的に生きるのである。お金に余裕があれば、買い物や飲食や観劇等などで社会にお金を回すのもよいだろう。

日本人は、今や平均80歳まで生きるのだから、60,65歳の定年で満足しているわけにはいかない。人は、自分の人生を満足して終わりたいと考えているはずである。そして、満足して生きるためには、どうやら生産的に生きなければならないようである。

生産的というのは、何かを生み出すことである。要は、社会、国、世界、人類、地球等などの成長発展に貢献することであろう。合気道的にいえば、宇宙の生成化育に貢献することである。

二つ目は、若者にとって魅力のある高齢者になることだろう。若者に、俺もあのような高齢者になりたい、あのように年を取っていきたいと思われるような高齢者になることである。そのように魅力のある高齢者が巷にあふれれば、若者は生きる張り合い、働く張り合いを持つことになり、高齢者への負担も納得してくれるのではないだろうか。

高齢者にはまだまだやるべきことがある。