【第311回】 心地よい痛み

合気道は技の錬磨をしながら上達していくが、はじめは相対稽古での形稽古で技をかけたり、受けをとったりして、体のカスを取っていく。

合気道の技は宇宙の条理に則っているので、自然に逆らわないようにできている。たとえ二教や三教で手首やひじを絞められても、手首やひじが本来動ける方向に伸びるようにつくられているといわれている。つまり、合気道の技は、相手を殺したり破壊したりする逆技ではなく、体の機能に沿った順技である。

順であるから、受けは気持ちがよいはずである。だが、実際は気持ちがよい場合もあるが、そうでない場合も多い。その最大の理由は、技をきめようとするあまり、条理に反することをやるからである。

十字のところを縦・縦や横・横などと、一方向に力を加える。この典型的な例は「小手返し」で、手首を攻めるので縦・縦となり不愉快な痛みを覚える。

また、伸ばすところを押し付けるので、本来気持ちのよいはずが、気持ちの悪い痛みになる。その典型的なのは、固め技「一教」「二教」「三教」の最後の抑えであろう。本来、体の節々が伸びるので気持ちがよいはずだが、押しつけてくると体と心が縮まって、心地がわるい痛さとなる。

高齢者は一般的に、腕力も弱くなってくるし、体力がなくなってくるので、あまり激しい稽古をしないものだが、それに反した、気になる特徴がある。それは、高齢者は往々にして、最後に腕力を集中して技をかける傾向にあるということである。

投げるのもそうだが、「小手返し」や「二教裏」などで、それ以前のプロセスの力とは格段に違った力でやるのである。まるで親の敵に会ったように、最後だけ集中して手首を攻めてくるのである。逆技とは言えないが、順にはならず、嫌な痛みを覚えるものである。

元気な若者も、技を身につけていなければ、同じように手首をいじめてくるが、それはそこまでのプロセスでの元気や勢いと比例しているので、心地の良い痛みとはいえないものの、不自然ではなく、容認することができる。また、自分の手首を鍛える稽古にもなるので、大いに力いっぱいやってほしいと思う。

相手には、心地よい痛みを与えるようにしなければならない。順で、伸ばすことである。関節や筋肉を伸ばしてやるのである。これは、容易なことではない。心地よいと感じるのは、十分に伸ばされたとき、とりわけ今までより伸びたときである。しかし、伸ばしすぎれば、切れたり破損する。限界の紙一重上までやって、止めることである。

そのためには、「愛」でやらなければならない。相手の立場で、相手のことを思って絞めていくのである。

もうひとつは、息に合わせてやることである。相手が息を吸って、体が緩んだ時に、力を加えてやるのである。これを逆にすると、壊れてしまう。

人は高齢になると、せっかちになるように思える。青信号を待てなかったり、階段を駆けのぼったり、人を押しのけて前に出ようとしたりするのをよく見かける。

稽古では、お互いが心地よい痛みを満喫するよう、愛の心と正しい息づかいで、じっくりと心体をつかっていきたいものである。