【第304回】 高齢者でも柔軟に

人は先入観というものを持つものだ。先入観とは、因果関係でものごとを観、考えることだろう。この先入観は多くの場合正しいと言えるが、半分は正しくないと思う。というのは、この因果関係が同じ土俵の上にあれば、その原因でその結果がでるだろうが、もし、この因果関係が別の土俵の上であれば、その原因はその結果にならないこともあるはずである。つまり、その先入観は誤っているので、先入観は持つべきではないということになる。

人間は、年を取れば固くなると言われているし、そう信じる人は多い。そして、人は年を取ると固くなるのが当然だと思い、それが普通なことであり、自分が固くなっていくのは不思議ではないとするのである。これが先入観である。

この先入観は、一般の土俵で生活をしている人にはほぼ当てはまるだろう。しかし、我々、武道の土俵にあるものには、当てはまらないでほしいものである。修行に終わりがない合気道で、60,70歳で固くなっていたら、合気道の深い探求などできるものではない。合気道を深く探求するためには、深い技の練磨をしていかなければならないわけだから、年を取るとともにますます柔軟にならなければならない。

開祖を、直接存じ上げない方は知らないだろうが、開祖の体は強靱であったが柔らかであった。開祖の船漕ぎ運動(写真)や天突き運動など、準備動作がDVDやビデオにあるから見るとよい。

年を取るから、固くなるのではない。先入観で自分を固くしている方が大きいと考える。
柔軟になるには、先ず、その先入観を捨てなければならない。要するに、頭を柔らかくすることである。そして年を取れば取るほど、自分の体は柔らかくなると信じることである。それは理論的に説明できるだろう。つまり。年を重ねるということは、それだけ柔軟にする鍛錬を多くできるということだからである。

開祖は、人一倍、そして長期に亘ってそれをやられたので、あのような、年を全く感じさせない、柔軟な身体になられたはずである。

次に、固くならないよう、柔軟になる努力をしなければならない。努力なくしてものごとの成就はないが、ただ努力すればいいということでもない。理に適ったことをやらなければ、その努力は実を結ばないし、最悪の場合はそれが害になるというものだ。

合気道では技を掛け合って練磨するので、柔軟な身体が不可欠である。とりわけ、筋肉と関節の柔軟性が必要である。筋肉も表層筋ではなく、その下にある深層筋、それに骨を繋ぐスジが重要なので、それらを柔軟にしていくことが大事である。

筋肉やスジ、そして関節を柔らかくするためには、二つの事に注意して鍛えていかなければならないだろう。
一つは、息遣いである。呼吸に合わせて筋肉やスジ、つまり身体を使うことである。息を入れると、筋肉やスジは弛み、その弛みの筋肉やスジで技を使えば、ますます筋肉は柔らかくなり、引いては身体が柔らかく、そして柔軟で強靱になっていくはずである。

二つ目は、関節と身体を十字に使っていくことである。人間の体は十字に機能するように創造されていると思うので、機能するように十字に使わなければならないと考える。合気道の技は、円の巡り合わせ。縦横で十字、円である。これが宇宙の法則、条理であると開祖は言われている。宇宙の条理に則った身体使い、稽古をしていけば柔軟な身体ができるはずである。それに逆らえば、柔らかくもならないだろうし、逆に固めてしまうか、壊してしまうことになるだろう。

三つ目は、身体の末端の手先、足先から動かさずに、身体の中心の腰腹から手足を動かして使うことである。末端の手先から動かすと、相手とぶつかり固まるものである。

高齢者になるということは、このような稽古を若者に比べてより多くできるし、やっているはずだから、身体も柔らかく、しかも柔軟になるはずである。
一般世間の先入観に惑わされずに、高齢者になっても柔軟な身体を持てると信じて稽古を続けていくべきだろう。