【第290回】 高齢者の役割

前回、高齢者の割合が急速に増えて、社会問題になっているということを書いた。そして、高齢者も社会にとって必要であるので、高齢者はがんばらなければならないと書いた。

しかしながら、今の社会では、高齢者は若者からあまり良い評価はされていないようである。自分達が稼いでいるお金で、高齢者の年金、つまり生活を支えてやっていると思っているようだ。

若者が高齢者をネガティブな存在として見るのは悲しいことであるが、高齢者にもその責任があると思う。それは高齢者が役割を十分果たしていないからだと考える。年金をもらっているからといって、好きなことを好きなように、思うようにやってもよい、ということではない。そんな高齢者の姿を若者が見れば、たとえそうでないとしても、年金泥棒と思うのは当然だろう。

まずは、高齢者には高齢者の役割があることを意識する必要がある。高齢者は社会に無くてはならないはずである。

高齢者のいない、または、高齢者が活躍しない社会を想像してみるとよい。若者だけでは世の中がうまく動かない事も多くあり、高齢者の経験と知恵が必要とされているのである。例えば、郷土の祭り、芸能や武芸、荘厳な儀式等などがそうだし、家事や庭仕事、孫の面倒などもそうであろう。

もちろん、合気道にも高齢者の役割がある。それは、一言でいえば、後進の若者に年を取っていく稽古の楽しみを与えることである。つまり、年を取って高齢者になれば、こういうこともできるようになり、分かるようになる、あるいは、あんなことも身につくのだ、ということを信じられるように、実際に見せるのである。

今はできなくても、稽古を続けて、鼻っ垂れ小僧の時期を乗り越えた高齢者になれば、こんなこともできるようになる、80、90歳でもこんなにできるんだよ、と示すことである。

もちろん、後進の若者にそれを伝えるのは、容易なことではない。だが、武道である合気道でも、一番効果的な教え方は、自分が一生懸命に稽古をしている姿を見せることに尽きるだろう。若者の後進がそれを見て、判断したり取り入れていけばよいのであって、相手次第ということである。だから、相手がどうかを心配するより、自分を変えていくことが大事である。もちろん、若者、後進が分からないことや知りたいことを聞いてくれば、答えてあげなければならない。だから、勉強もしていかなければならない。

聞かれない限りは、自分の稽古を一生懸命やっていく、高齢者になって、どこまで、どの程度までできるのかに、自ら挑戦する。これが、高齢者の合気道における役割であろう。