【第282回】 先天の気と後天の気

人は両親から生まれが、赤ん坊は両親を選ぶことはできない。もっとお金持ちの家がよいとか、兄弟が多い家がよいとか、また外国の方がよい等と、自由に選択することはできない。

また、人は体力や知力も、与えられたものを持って生まれてくる。後で、もっと体力があったり、運動神経がよければとか、頭がよければよかったのにと思っても、どうしようもないことである。

生まれてすぐには、赤ん坊の能力や知能がどれほどなのかは分からないようだが、年を重ねていくに従ってだんだん本人が認識したり、周囲にされるようになってくる。成績がよい、悪い、運動神経がよい、運動は苦手などとはっきりしてきて、学校では順位がつくし、頭のよい子は評価されて、よい学校に進み、よい仕事につくことが多い。

頭の良さや運動能力等は、生まれた時に持ってきた財産という事ができよう。少年サッカーでも野球でも、生まれつきの才能がものをいう。これで努力すれば、鬼に金棒である。それに反して、才能の持ち合わせが少ないものは、よほど努力しないとついていけなくなる。

この才能の恩恵はしばらく続くようだが、だんだんその恩恵も、影が薄くなってくるようだ。

合気道の稽古でも、学生時代や若い時期は、まだ才能の恩恵が色濃くでる稽古をしている。だが、年を重ねていってもその才能に甘んじた稽古をしていると、その上達も止まってくるようだ。

上達していくためには、古い自分だけに頼らず、今まで避けていたことをやってみたり、不得意なものに挑戦したりして、新しい自分をつくり、その新しくなっていく自分でやっていかなければならない。例えば、若い頃にあった腕力でやっても、若い時はよかったかもしれないが、年を取ってくれば体力が衰え腕力も落ちるわけだから、稽古の方法、技の掛け方、考え方を変えていかなければならないはずである。

中国には、「先天の気」と「後天の気」という考え方がある。「先天の気」は、親からもらった先天的な生命力であり、「後天の気」は、生まれた時から自分で作り出す後天的な生命力という。後天的な生命力となるのは、光、空気、自然エネルギー、食べ物、飲み物であり、「後天の気」を得るためには、それらを摂取することである。

先天の気はどんどん減るだけで増えることがないので、減る分を後天の気で補っていかなければならない、といわれる。

人は高齢になれば、子供の頃や若い時の才能や能力など、先天の気として恵まれたものはどんどん薄くなる。先天の気だけに頼っていては、滑稽にみえるし、悲劇である。年齢を重ねるとともに、先天の気をカバーし、凌駕するようなものを身につけていかなければならないだろう。合気道でも、そのようなものを十分身に着け、働かせるために、稽古を続けなければならない。

合気道は、日月の呼吸で天の気や地の気を頂き、十分に空気を摂取して稽古をしているので、後天の気が養われているはずである。後天の気を養うためにも、合気の稽古をしていくことにしよう。