【第273回】 ハレ(晴れ)の世界に

時代が進むにつれて、人類は物質的に豊かになっていくようであるが、その代償もそれに応じて大きなものになっているように思える。日本は世界第二・三位の経済大国になったが、このために多くのものを失ってきたようである。

半世紀前までの日本は、腹いっぱい食べられればいいという貧しい状況であったが、今では世界が羨むような豊かな国になったといえよう。しかし、年間で30,000人の自殺者を出すような厳しい競争社会になってしまった。人は、朝から晩まで働かなければならなくなり、家族や他人だけでなく、自分自身を思いやることも難しくなってきている。

民俗学者の柳田国男氏は、ふだんの生活である「日常」をケ(褻)、儀式や祭り、年中行事などの「非日常」をハレ(晴れ)といっている。

時代が変わると共に、また人も年齢と共に、ますます忙しくなり、効率的、経済的目標達成のために、その目標達成に直接関係ないと思われる「ハレ」を省略、簡素化、無視、忘却していっているようである。宮詣りや墓参り、祭りの参加、節分、雛祭り、七夕、月見などなどをやっている人は、どんどん少なくなっていることだろう。

若者は「日常」のケで頑張っているのだが、効率主義の下で、無駄と思われるものをますます取り除いていっているようだ。目標達成に必要なものだけに絞っているせいか、非日常のハレを楽しむことをしないだけでなく、食べることさえも大事にしないし、運動もしていないようで、その結果、ひ弱な体格や精神になってきているようだ。人身事故が起こるのも、この辺に問題があるのかもしれない。

しかし、仕事を離れた高齢者までが、非日常のハレから遠ざかっていくのも問題である。年のせいもあるだろうが、ハレから遠ざかるだけでなく、服装、身だしなみなどに気を遣わなくなるし、なるべく気楽にしようと思うようになるようだ。非日常的な食事やお出かけのときは、日常の延長ではなく、たとえ親しい友人、知人の間であっても、ハレの服装や身だしなみを忘れないようにして欲しいものである。

効率や気楽にやっているだけでは、ケの生活までうまくいかないはずで、必ず不満や欲求が頭をもたげてくるはずである。これを柳田国男氏は、ケガレと言われているが、ケガレとは「気枯れ」ということで、生きる生命力が枯れてしまうことであるという。

このケガレ(気枯れ)を防いだり、復旧するのが、非日常のハレであるだろう。人類はケガレを起こさないよう儀式や祭り、年中行事などを催して、大事に守り続けてきたはずである。

効率も大事だが、さらなる効率を目指すなら、ケガレにならないよう、ハレの世界にも生きるようにすべきだろう。また、高齢になればなるほど、儀式や祭りや行事を大事にして、なるべくハレの世界に遊ぶようになりたいものである。

我々合気道家は、有難いことに合気道というハレの世界に遊ばせて頂いている。しかし、これをケの世界で稽古をしてしまえば、ケガレを防ぐこともできないし、新鮮なエネルギーも入ってこない。ハレの世界で稽古をしていかなければならない。ハレの場であるから、心構え、振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別しなければならない。

道場では、ケを引き連れないよう、厳粛な儀式や気持で稽古していかなければならない。そうでなければ、ケの延長になってしまって、ハレの稽古の意味がないし、ケガレが起き、上達しないだけでなく、稽古を続ける意欲も無くしてしまうだろう。